日月抄ー読書雑感 -5ページ目

小野小町と芍薬


6月、芍薬の花の季節である。昨日もう一つのブログ「From Dewanokuni」 に地元の小野小町伝説について書いた。ところが、作家岡本かの子がこれをもとに「小町と芍薬」という作品を書いていることを知った。著作権がなくなったのでインターネット図書館「青空文庫」でも掲載されている。(小町の芍薬

国史国文学の研究家である村瀬君助が小町伝説がある秋田県雄勝郡小野(当時)を訪ねる内容である。おそらく岡本かの子はこの地を実際に訪ねこの作品を書いたものと思われる。次の描写は50数年前のこの地が生き生きと描かれ近くに住む私には想像できる懐かしい風景である。

「北国の六月は晩春の物悩ましさと初夏の爽かさとをこき混ぜた陽気である。梨の花も桃も桜も一時に咲く。冬中、寒さに閉ぢ籠められてゐた天地の情感が時至つて迸り出るのだが鬱屈の癖がついてゐるかして容易には天地の情感が開き切らない。開けばじつくり人に迫る。空の紺青にしても野山の緑にしても、百花の爛漫にしても、くゞめた味の深さがあつて濃情である。真昼の虻の羽音一つにさへ蜜の香が籠つてゐた。芍薬の咲いてゐる所は小さい神祠の境内になつてゐた。庭は一面に荒れ寂れて垣なども型ばかり、地続きの田圃に働く田植の群も見渡せる。呟くやうな田植唄が聞えて来た。」



村瀬君助はなぜこの地を訪れたのか。彼は妻子を失い、伝説の美女小野小町にのめりこみ、「小町は無垢の女だ。一生艶美な童女で暮した女だ」と思い込んだからである。友人は少女病(マニア)のかかったという。今の言葉でいうと「ロリコン」であろう。そして、この地で釆女子(うねめこ)という16歳の美少女に出会う。少女は「この土地は小野の小町の出生地の由縁から、代々一人はきつと美しい女の子が生れるんですつて。けれどもその女の子は、小町の嫉みできつと夭死するんですつて」と顔を芍薬に埋めて摘んだ花に唇を合わせ、白い踵をかへして消えるやうに神祠の森蔭へかくれてしまう。そしてこの作品の最後の場面である。

「失神したやうになつてゐた君助は、やがて気がつくと少女が口づけた芍薬の花を一輪折り取つた。彼は酔ひ疲れた人の縹渺たる足取りで駅へ引き返した。君助は東京へ帰つてから、かなり頭が悪くなつたといふ評判で、学界からも退き、しばらく下手な芍薬作りなどして遊んでゐるといふ噂だつたが、やがて行方不明になつた。」

岡本かの子は一人の男が小町という超現実の美女の俤を心に夢み、小町伝説の地での美少女の出会いを通してその伝説の呪縛から抜けることの出来なかった孤独な男の姿を芍薬に託してを見事に描いている。現在も小町塚のある祠のある山の麓には芍薬が咲いている。

岡本かの子著「小町の芍薬」「花の名随筆6 六月の花」作品社  1999年5月発行

ジェームズ・ジョイスとブルームズ・デイー

アイルランドの作家ジェームズ・ジョイスの作品「ユリシーズ」にちなんで毎年6月Bloomsdayが開かれている。これは主人公であるブルーム夫妻にちなんで開催されるもので、一昨年ユリシーズ100周年 の記念行事が行われたことをブログにも書いた。

今日のアイルランドのウェブ誌「Ireland on line]の記事によると、Bloomsday events unveiled (ブルームズ・ディーの内容明らかになる)の記事が載っている。

Joyceans are being invited to a traditional Guinness and kidneys breakfast on North Great George’s Street while tours, talks and readings will be held throughout the city centre.

(ツアー、話し合い、読書会などが市センターで開催されいる一方、ジョイスファンは北グレートジョージ街での伝統的なギネス(アイルランド Guinness 社のスタウトビール)と内臓料理の朝食会に(ブルームは好んで獣や鳥の内臓を食べた)招かれる。

ジョイスはアイルランドでは今でも人気があるが、青年期にはアイルランド民族主義に冷淡で、故国を嫌い孤立し、後年、フランスやスイスを転々としながら執筆活動を続けている。しかし、故国への思いはあったようだ。

彼の著作「ダブリンの人々」中に「死せる人々」という作品がある。これは二人の老姉妹が毎年のクリスマスシーズンにダブリンの自宅に知人を呼んでパーティーを開く。二人の古くからの友人たちは、テーブルを囲み四方山話をする内容である。

その中に客の一人が「あんたがあんな新聞(デイリーエクスプレス紙、ロンドンの朝刊新聞でアイルランド民族闘争に反対の立場をとる)に書くなんてあんたがウェスト・ブリトンだとは思わなかった」という会話がある。これはwest Britonのことで、アイルランド併合以後、英国本土人を指してBritonとよび、西方のイギリス人、つまり生粋のアイルランド人でないことから「イギリスかぶれ」を意味しているようだ。

アイルランドは長い間のイギリス支配が続き、故国を嫌ったジョイスも作品では故国に対する思いが強かったらしい。それが「イギリスかぶれ」の言葉になったと思われる。やはり彼はアイルランドの作家である。

ジェ-ムズ・ジョイス著/安藤一郎訳 ダブリン市民  新潮文庫 (改版) 2004年12出版

白洲次郎の直言

珍しくわが田舎町の書店に今売れている本の中に白洲次郎の本が3冊並んでいた。白洲次郎の流儀 (白洲次郎・白洲正子・青柳恵介・牧山桂子他著 新潮社2004-09-25出版)、白洲次郎占領を背負った男( 北康利著 講談社 2005/08出版)、プリンシプルのない日本(白洲次郎著  新潮文庫 2006/06出版) である。

今何故「白洲次郎なのか」つい先日、「風の男 白洲次郎 新潮文庫」を読んだばかりであるが、確かに体制の中にいながら権力に靡かず自分流に生きた男して惹かれる面があるが、所詮は上流階級の貴族的人間という先入観はぬぐえなかたった。だが待てよ、こんなに自由に振舞える人間が現在の財界、政治の世界にいるのか?否である。彼の評伝を書いた青柳恵介氏は「風の男」、親友であっ作家今日出海氏は「育ちのよい野蛮人」と呼び、本人は「カントリージェントルマン(田舎紳士)」と自称した白洲次郎への郷愁が共感を呼ぶのも、現在、「魅力ある人間」の欠乏のせいであろうか。

一体、彼自身、戦後の日本をどう見ていたのだろうか?彼が諸雑誌に載せた雑感(政治、経済占領政策、日本人論)が平成13年出版され、今回新潮文庫から出たばかりの「プリンシプルのない日本」を(1951年(昭和26年)から5年間、文芸春秋に載せたものを)読んでみて特に感じた点を書いてみたい。

新憲法制定でGHQとかかわった白洲の新憲法の性格と改正問題は今日的問題としても参考になる。白洲は「現在の新憲法は占領中米国側から「下ろしおかれた」もので・・占領がすんで独立を回復した今日ほんとの国民の総意による新憲法ができるのが当然であると思う」という基本的考え方を述べている。しかしその憲法のプリンシプルは実に立派である。戦争放棄の条項はその圧巻であり、押し付けられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきであるとも述べ、その柔軟な考え方は昨今の憲法改正論者と違うことに気付かされる。



また安保条約を結んでいるアメリカへの姿勢も傾聴に値する。彼は戦後占領政策の非なる部分に断固反対した石橋湛山を賞賛し、政治家、役人の中に「骨のある奴がいない」「八方美人が多すぎる」と嘆いている。だから「アメリカがどんどん主張しこちらはおっかなびっくりで、何も云わないようなら、日を経るにしたがって残るのはただ誤解と悪感情だけだ。政府も殊更外務省や駐米の大使館はもっと勇敢に信念をもってアメリカに当たるべし」と述べている。これを書いたのが1956年、今から50年前である。日本の対米政策の現状を考えるときに白洲の警告は全然生かされていない。日米同盟は大切であるが、モノをいえない日本外交を墓下の白洲は苦笑しているに違いない。

白洲は妻の正子の関係で吉田茂と縁戚関係にあり、彼とウマがあい何でも云える間柄であったが、吉田茂の政治家としての功罪の最大の失敗は辞め時をあやまったことにあるという。サンフランシスコ平和条約の帰路「あなたの政治的役目はすんだから帰朝後辞める様に」と忠告したそうである。しかし池田勇人の慰留にあって辞めず最悪の事態を迎えたという。それでも「吉田老は枯れない滅私奉公の愛国者であったが、成果としての失敗は彼の年齢であり彼の育った時代の結果であり彼を責めるのは酷である」と吉田を敬愛していたことが分かる。

全体としてこの本は世の中全般にわたる文明批評でもあり、その内容は一方に偏せず公平に物をみて判断し直言する態度には感心する。彼を精神的貴族としか見なかった不明をわびたい。

白洲次郎著 プリンシプルのない日本  新潮文庫  2006/06出版)

詩人清岡卓行氏の死を悼む

作家・詩人としても知られる清岡卓行氏が3日死去した。中国・大連生まれ。もともと詩人であるが、先妻の死をきっかけに小説を書き始め、大連の街の記憶と、そこでの先妻との出会いを作品化した「アカシヤの大連」で、70年に芥川賞を受賞している。

私は彼の叙情に溢れた詩が好きであるが、生まれ育った「大連」への思いが詩や小説の中に顔を出している。彼の作品「邯鄲の庭」に「ある濁音」という文章あり、「大連」を「だいれん」と読むか、「たいれん」と読むかにこだわりをみせている。

中国製のジャムを見つけ、その瓶のラベルをみたら大連で作られたもので中国語と英語で書かれており、その中に大連が「DAIREN」と記されていることに喜びを見出したことが書かれている。というのも日本の権威ある国語辞典を調べたら「だいれん【大連】→たいれん」とあり、「たいれん」が主で「だいれん」が従になっていることに清岡さんは「消しがたい違和感」を覚えたというのである。

そして、清岡さんは『「大連」にあまり関心のない日本人からみれば、「大」という文字が「だい」とも「たい」とも読むこのであるから、その発音のちがいなどどちらでもいいことかもしれない。しかし、私にとっては重大な問題であった。やや誇張して言えば、「だ」であるか「た」であるかの音声上のごく僅かなちがいによって、私の幼年時代や少年時代の思い出は、生きもすれば死にもするように思われたのである』と述べている。

その文章の最後には「人間は年をとってくると少年時代や幼年時代の記憶が不思議に鮮明に浮かび上がってきたりするというが、そのことと関係あるのだろうか?つまりDAという濁音は私の遠く遙かな記憶が生き生きとと甦ってきたりすることについて、思いもかけなかった予告の音楽的な合図なのだろうか?」と結んでいる。清岡さんの幼・少年時代育った「大連」に寄せる思いがひしひしと伝わってくる文章である。

遠い別れ 清岡卓行

明日あたり 春が訪れそうな静かな夜
幼い子供と寝てその眠る顔になぜか
ぼくが死ぬとき彼が感じるであろう
驚きや悲しみや怖れなどをふと想像する。
     詩集「 四季のスケッチ」より)

大連の思いを忘れず、鋭い観察眼とみずみずしい感性をもった詩人・清岡卓行の死を悼む 享年 83歳、合掌。

清岡卓行著  邯鄲の庭    講談社   1980/05出版


絵画盗作事件とベンヤミン

春の芸術選奨で文科大臣賞を受けた洋画家の和田義彦氏が、知人のイタリア人画家アルベルト・スギ氏(77)の作品と構図などが酷似して作品を多数出展し問題になっている。和田氏は「似た作品」と認めながら「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」と主張している。

同じ場所や人物を描いたのなら類似作品が出る場合があると思うが、それにしてもスギ氏は「和田氏のカタログ2冊を見ただけでも、少なくとも30点は盗作に当たる」と多くの作品に類似が見られるようである。

これについて今日の「日経」のコラム「春秋」はドイツの思想家のベンヤミン(1892~ 1940年)の、「芸術作品はそれが存在する場所に1回限り存在する」の言葉を引いて、「ベンヤミンは複製技術で作品からアウラ(霊気)が失われる芸術の運命を予測したが、こんな「複製」がまかり通るのを見通せたかどうか」と述べている。

これはベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」という著書の中でのべたものである。写真の出現によって、複製技術が発達すると芸術作品の真正性が問われるという。つまり「ある事物の真正性は、その事物において根源から伝えられるもの総体であってそれが物質的に存続していること、それが歴史の証人となっていることを含む。歴史の証人となっていることは、物質的に存続していることに依拠しているから、その根拠が奪われる複製にあっては歴史の証人となる能力もあやふやになる。・・こうして揺らぐものこそ、事物の権威、事物の伝えられる重みに他ならない」と述べている。

この著書を解説した多木浩二氏によるとこの「重み」を総括して「アラウ」であると述べている。だから「日経」のコラム氏が「アラウ」を「霊気」と訳しているが正確でない。作品の中の歴史的重みを含む総称で「複製技術時代に芸術作品において滅びゆくものは作品は「アラウ」である」と述べている。

今回の盗作は確かに色つかいなどに工夫が見られるというが、ベンヤミンの理論からすると模写にすぎない。そこには「根源から伝えられるもの総体」は感じられず、まして「歴史の証人にはなりえない」。作品は「共同制作」や「オマージュ」というが苦しい弁解に過ぎず。70年前ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で説明した「アラウ」はどこにもない。

多木浩二著  ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読  岩波書店 (2000-06-16出版)

Little People

5月、都立美術館で開かれた「プラド美術展」を見たが、残念ながら印象に残る絵が少なかった。むしろ2002年3月に西洋美術館で開かれた「プラド美術館展」のほうが今でも記憶に残っている絵が2枚ある。ゴヤの「巨人」とベラスケスの「道化師セバスティアン・デ・モーラ」である。片や巨人、かたや小人の絵とその対照的な点が忘れられないのだろう。

特に「セバスティアン・デ・モーラ」の小人の表情は衝撃的であった。その感想はホームページに「プラド美術展を観る」 の題で書き留めている。それについて「ベラスケスの作品の殆どは肖像画と言われている。今回はフェリッペ4世をはじめ数点の肖像画が見られたが、特に目を引いたのが小人を描いた「セバスティアン・デ・モーラ」である。道化や役者は宮廷で厚遇されたらしいが、モーラの悲しげであるが何かに挑むような表情から何を読み取ったらよいのであろうか」と私は感想を述べている。

今回たまたま写真家の榎並悦子さんの「Little People」の写真集を見る機会があった。小人症(Dwarfism)の人々理解が深まることを願って主にアメリカで密着撮影。年に一度、世界中から集まる会合(Little People of America)や、野球の試合、結婚式、仕事、家族、友人との時間など、彼らの暮らし写真が収められている。

写真集をコピーできないのが残念であるが、屈託のない明るい表情、特に男女の愛情表現が印象的である。榎並さんは「何度か通ううちに彼らが普通暮らしていけるアメリカ社会の包容力に気付いた。そして家族や周囲の深い愛情を知った。日本の社会も心のバリアフリーになるときが一日も早くくることを願っている。」と述べている。

ベラスケスの時代は、小人たちは道化師として人気があったらしいが、所詮は見世物であった。彼らに対する偏見はあったに違いない。日本おいても現在も身体的な弱者に対する差別は残っている。それに比べこのような人たちと同化しているアメリカ社会の包容力は学ばなければなるまい。それにしても移民国家であるアメリカが移民法の書き換えをし反移民政策が打ち出されるつつあるのはどうしてであろうか?しかし、多くの市民、高校生までもが反対に立ち上がったというから一般的には包容力があるというべきか。

なおこの写真集「Little People」は先日、平成18年度の「講談社出版文化賞を受賞した。

Little People―榎並悦子写真集  朝日新聞社 2005/6刊

米原万里さんの死を悼む

ロシア語の同時通訳として活躍し、エッセイスト、作家としても知られた米原万里さんが25日に亡くなり既に葬儀を親族で済ませていたことが昨日の新聞報道で知り驚いている。

米原さんの著書では、ノンフィクションの内容を含んだ小説に興味を惹かれその中の「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「オリガ・モリソヴナの反語法」 についてはホームページの読書録に「書評」を載せたことを思い出し読み返しをしているところである。

米原さんの父親昶氏は日本共産党の幹部で彼が国際共産主義運動の機関紙である「平和と社会主義の諸問題」の編集局(プラハ)に派遣され一家がその地に住み、万里さんはそこのプラハ・ソビエト学校(世界の共産党幹部の子弟の学校)に小学校4年とき転入し5年間学んでいる。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」はこの学園で知り合った3人の少女と交流を描いたものである。圧巻は、30年ぶりに彼女らと再会する場面である。これについてはNHKの「心の旅」で放映されたと記憶している。米原さんは当時の激動する東欧の政治の動きに翻弄された少女たちを温かい目でユーモラスに描いているが、故国と過去を捨てたアーニャへの彼女の批判が題名にある「真っ赤な真実」の言葉になったものと思われる。

もう一冊の「オリガ・モリソヴナの反語法」はやはりプラハの学校の舞踊の先生の数奇な運命を描いたもので、スターリンの人権を無視した苛酷な時代を背景にそれにも耐えてその悲劇を乗り越えるために生きてきた一女教師とそれを支えた仲間の行動が感動的である。

米原さんは東欧で体験した事実を通してソビエトが指導した国際共産主義体制の矛盾をその内面から声高でなく静かに批判している。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」はは80%がノンフィクションで20%がフィクションであったのに対し、「オリガ・モリソヴナの反語法」はその逆であると述べている米原さん気持ちが理解できる。

こよなく東欧の人々、そしてロシア人を愛し、ユーモアに溢れるエッセーや小説を残した米原万里。享年56歳 早過ぎる死を惜しむ。合掌。

米原万里著  嘘つきアーニャの真っ赤な真実  角川書店  2002/4再版
米原万里著  オリガ・モリソヴナの反語法    集英社  20002/10発行

グーグルの有効性と危険性

パソコンを始めて10年目、丁度インターネットが出てきたころである。その後メーリングリストに入ったり、ホームページを作ったりと日常生活の中で欠かせないものなっているが、この10年間のウェブの進展には驚くばかりである。

最初のころはヤフーにHPを認知してもらうことに喜びを感じたが、その後HPに代わってブログの普及しいつの間にかそれが主流になり、誰もが情報発信できるようになった。また楽天などのネット上で買い物ができるようになったショッピングのポータルサイトが出てきたも大きな変化である。しかし、日常一番多く利用しているのは「情報」や「知識」の収集である。そのなかで検索エンジンも進展し、特グーグルが登場し、あっというまにウェブ社会の中心になってしまったことである。

先日 田原総一朗氏が「週刊朝日」の連載の「ギロン堂」で「情報帝国グーグルの危険性」というコラムを載せている。彼が創業者の一人サーゲイ・プリンと会ったとき彼は「グーグルは世界に存在するあらゆる情報を、すべてのウェブ上のデータベースに集めて分解し、重要度のランキング化する」と述べたそうである。

丁度、梅田望夫著「ウェブ進化論ー本当の大変化はこれから始まる」、佐々木俊尚著「グーグルー既存のビジネスを破壊する」を読む機会があり、この本を通してグーグルの活動(営業内容)をしることがでた。梅田氏はこれからのネット社会の3大潮流として「インターネット」、「チープ革命」、「オープンソース」を挙げているが、この最先端をいっているのがグーグルということらしい。



特にグーグルが行っているのは「知の再編成」ということであると梅田氏は述べているが、佐々木氏も「人類の知と呼ばれる分野のデータを2009年までは検索可能になっている」と関係者が述べていることを紹介している。われわれ個人としてはあらゆる情報がインターネット上で検索できることはありがたい。梅田氏は「オープンソース」現象の一つとして、知的内容が無料でウェブを通して知ることできる事例を挙げているがこれは今までないことである。

しかし、問題点がないわけでもない。田原氏に言わせると「グーグルの検索サイトにヒットしない情報は「存在しない」ということになってしまう」と述べているが、すでに検索サイトから削除されている事例が出てきているという。佐々木氏も「グーグル八分」と称し、グーグルから排除されることの恐怖」が生まれているという。

ウェブ社会の進化については、「あちら側」(情報発電所)や「Web2.0」や「ロングテール」の問題などIT企業に関わる問題もあるが、私にとっては「情報問題」が一番関心がある。しかし、梅田氏がいうようにこのよう現象は「ネット社会」に住む人たちの問題で、その社会にいなくてもこれまで生きていける時代が続くのではないか」という冷静な分析も頭に入れておく必要がある。先日も朝市で娘に「ワラビ」を送りたいと近隣の村から歩いてきた89歳の老婆と出会い、帰りに送っていったが、「ネット社会」と全然関係ないこの老婆との話がネットでは得られない暖かい情報であった。

梅田望夫著  ウェブ進化論  ちくま新書  2006年2月刊
佐々木俊尚著 グーグル    文春新書   2006年4月刊

司馬遼太郎と愛国心

今日の朝日、毎日の朝刊は「国を大切にする」などの「愛国心」表記を通知表の評価項目に盛り込んでいる公立小学校が埼玉県など数県あったことが報じられている。既に教育現場では「学習指導要領」に基づいて社会科などで前倒しして指導をしていたわけである。福岡市の通知表では「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」という小学校6年社会科の評価をしていた。(現在は中止)将に今回の改正基本法の「愛国心」の項目と類似している。

しかし、社会科の評価をできるはずもなく、教育委員会など圧力があったものと思われる。



司馬遼太郎は小説の中に「余談」を語るので知られているが、江戸末期の回船商人高田屋嘉兵衛を描いた「菜の花の沖」でこの「愛国心」について述べている箇所がある。嘉兵衛はゴローニン艦長など幕府のロシア人捕虜救出に出動したロシア軍艦と国後島沖で遭遇、拿捕されカムチャツカに拉致される。そこで日本との交渉に関して、副艦長のリコルドに「上国」とはなにかについて説く場面があり「他をそしらず、自ら誉めず、世界同様の治まり候国は上国と心得候」と述べている。

司馬はこれについて、「上等の国とは他国の悪口をいわず、また自国を自慢せず世界の国々とおだやかに仲間を組んで自国の分の中に治まっている国」の意味で嘉兵衛にとって一村一郷を誇って隣村隣郷をそしるという地域が上等の地域であるはずがないということから国家もそうであると考えたとものだという。

そこで司馬は。「現代の言葉に直せば、愛国心を売りものにしたり、宣伝や扇動材料につかったりする国はろくな国ではないという意味である。愛郷心や愛国心は村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」と述べている。

教育現場では着々と愛国心教育を進め、それを法制化しようとしている現状に、「ことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」と警告した司馬遼太郎がこれをどう思うだろうか。

司馬遼太郎著 菜の花の沖(6) 文春文庫  2000年9月刊     

書評「ケンカの方法」

名うての辛口評論家、辛淑玉氏と佐高信氏の対談と意見をまとめたものである。題して「ケンカの方法」ー批判しなければ、日本は滅ぶーというサブタイトルで、辛辣な批判を展開している。

辛口の小泉批判から始まるが、国民の批判力のなさを二人は嘆いている。世論操作の薄っぺらさのレベルと無知な大衆のレベルがぴったり合っているから確信的なナショナリズムが形成される(辛)。国民の中に「騙されたい、騙され続けていたい」という意識が根をはっているんだろうな。騙されているのだから、自分には責任がないと逃避する。本当に末期的なだね。(佐高)

一面をついているが、私は彼らのこの発言の中に大衆蔑視の意識を感じてならない。進歩的文化人としての鼻持ちならない驕りも感じる。権力を批判するのは結構であるが大衆を馬鹿にしてはいけない。まず最初の二人の対談から感じたのこのことだった。大衆に「批判力をもて」という激励にも取れるが、そのためにはどうすればよいかという提言がほしい

第2章で辛さんは「ケンカのできない野党」とテーマで野党の不甲斐なさを批判している。今の野党が「ケア施設」同然であるという手厳しい批判は当たっている面もある。日本の政党は議員の生活互助組合みたいなものだとという辛さんの考えは極端としても、「国民のために」というのなら、マイノリリティーや弱者に真剣に目を向けるべきであるという意見には賛成である



第3章で二人が「階層化する会社と政治」では辛さんの「プアーホワイト」(高学歴の貧乏な下層労働者)、佐高さんの「社畜」という現代の会社員の見方は面白いが、現状はどうなのか。むしろ正規雇用できない労働予備軍が問題ではないか。二人の考えにステレオタイプとして会社員像を見てしまう。そして弱肉強食の時代を現出したという小泉・竹中を批判しているが、それでは解決にならない。

第4章では佐高さんが「尽きないケンカの相手」について書いている。多くの政治家、文化人を槍玉にあげているが、以前から他の著書にもでてくる人物が多く新鮮味がない。むしろ彼が誉めている凛として生きた反骨の人々(藤沢周平、土門拳、など)に共感する。どうも佐高さんの批判はクサスことであると感じてならない。

第5章では上野千鶴子氏も参加して「2世が日本を駄目にする」の鼎談をしている。2世の政治家のことはさておき、上野さんが在日やアメラジアンなどポストコロニアルの人々の、どっちにも所属しない存在に注目してしてることに惹かれた。ジュニア政治家と違う二世たちの存在を位置づけた上野さんの指摘はさすがである。

この本を読み全体として気負った二人の「生の言葉」には賛同する面も多いが、抵抗も感じる。最後の座談に参加した上野千鶴子さんのの柔らかい言葉の響きにホッとしたところである。

辛淑玉・佐高信著  ケンカの方法 角川書店 2006年4月刊