司馬遼太郎と愛国心 | 日月抄ー読書雑感

司馬遼太郎と愛国心

今日の朝日、毎日の朝刊は「国を大切にする」などの「愛国心」表記を通知表の評価項目に盛り込んでいる公立小学校が埼玉県など数県あったことが報じられている。既に教育現場では「学習指導要領」に基づいて社会科などで前倒しして指導をしていたわけである。福岡市の通知表では「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」という小学校6年社会科の評価をしていた。(現在は中止)将に今回の改正基本法の「愛国心」の項目と類似している。

しかし、社会科の評価をできるはずもなく、教育委員会など圧力があったものと思われる。



司馬遼太郎は小説の中に「余談」を語るので知られているが、江戸末期の回船商人高田屋嘉兵衛を描いた「菜の花の沖」でこの「愛国心」について述べている箇所がある。嘉兵衛はゴローニン艦長など幕府のロシア人捕虜救出に出動したロシア軍艦と国後島沖で遭遇、拿捕されカムチャツカに拉致される。そこで日本との交渉に関して、副艦長のリコルドに「上国」とはなにかについて説く場面があり「他をそしらず、自ら誉めず、世界同様の治まり候国は上国と心得候」と述べている。

司馬はこれについて、「上等の国とは他国の悪口をいわず、また自国を自慢せず世界の国々とおだやかに仲間を組んで自国の分の中に治まっている国」の意味で嘉兵衛にとって一村一郷を誇って隣村隣郷をそしるという地域が上等の地域であるはずがないということから国家もそうであると考えたとものだという。

そこで司馬は。「現代の言葉に直せば、愛国心を売りものにしたり、宣伝や扇動材料につかったりする国はろくな国ではないという意味である。愛郷心や愛国心は村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」と述べている。

教育現場では着々と愛国心教育を進め、それを法制化しようとしている現状に、「ことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」と警告した司馬遼太郎がこれをどう思うだろうか。

司馬遼太郎著 菜の花の沖(6) 文春文庫  2000年9月刊