詩人清岡卓行氏の死を悼む | 日月抄ー読書雑感

詩人清岡卓行氏の死を悼む

作家・詩人としても知られる清岡卓行氏が3日死去した。中国・大連生まれ。もともと詩人であるが、先妻の死をきっかけに小説を書き始め、大連の街の記憶と、そこでの先妻との出会いを作品化した「アカシヤの大連」で、70年に芥川賞を受賞している。

私は彼の叙情に溢れた詩が好きであるが、生まれ育った「大連」への思いが詩や小説の中に顔を出している。彼の作品「邯鄲の庭」に「ある濁音」という文章あり、「大連」を「だいれん」と読むか、「たいれん」と読むかにこだわりをみせている。

中国製のジャムを見つけ、その瓶のラベルをみたら大連で作られたもので中国語と英語で書かれており、その中に大連が「DAIREN」と記されていることに喜びを見出したことが書かれている。というのも日本の権威ある国語辞典を調べたら「だいれん【大連】→たいれん」とあり、「たいれん」が主で「だいれん」が従になっていることに清岡さんは「消しがたい違和感」を覚えたというのである。

そして、清岡さんは『「大連」にあまり関心のない日本人からみれば、「大」という文字が「だい」とも「たい」とも読むこのであるから、その発音のちがいなどどちらでもいいことかもしれない。しかし、私にとっては重大な問題であった。やや誇張して言えば、「だ」であるか「た」であるかの音声上のごく僅かなちがいによって、私の幼年時代や少年時代の思い出は、生きもすれば死にもするように思われたのである』と述べている。

その文章の最後には「人間は年をとってくると少年時代や幼年時代の記憶が不思議に鮮明に浮かび上がってきたりするというが、そのことと関係あるのだろうか?つまりDAという濁音は私の遠く遙かな記憶が生き生きとと甦ってきたりすることについて、思いもかけなかった予告の音楽的な合図なのだろうか?」と結んでいる。清岡さんの幼・少年時代育った「大連」に寄せる思いがひしひしと伝わってくる文章である。

遠い別れ 清岡卓行

明日あたり 春が訪れそうな静かな夜
幼い子供と寝てその眠る顔になぜか
ぼくが死ぬとき彼が感じるであろう
驚きや悲しみや怖れなどをふと想像する。
     詩集「 四季のスケッチ」より)

大連の思いを忘れず、鋭い観察眼とみずみずしい感性をもった詩人・清岡卓行の死を悼む 享年 83歳、合掌。

清岡卓行著  邯鄲の庭    講談社   1980/05出版