絵画盗作事件とベンヤミン | 日月抄ー読書雑感

絵画盗作事件とベンヤミン

春の芸術選奨で文科大臣賞を受けた洋画家の和田義彦氏が、知人のイタリア人画家アルベルト・スギ氏(77)の作品と構図などが酷似して作品を多数出展し問題になっている。和田氏は「似た作品」と認めながら「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」と主張している。

同じ場所や人物を描いたのなら類似作品が出る場合があると思うが、それにしてもスギ氏は「和田氏のカタログ2冊を見ただけでも、少なくとも30点は盗作に当たる」と多くの作品に類似が見られるようである。

これについて今日の「日経」のコラム「春秋」はドイツの思想家のベンヤミン(1892~ 1940年)の、「芸術作品はそれが存在する場所に1回限り存在する」の言葉を引いて、「ベンヤミンは複製技術で作品からアウラ(霊気)が失われる芸術の運命を予測したが、こんな「複製」がまかり通るのを見通せたかどうか」と述べている。

これはベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」という著書の中でのべたものである。写真の出現によって、複製技術が発達すると芸術作品の真正性が問われるという。つまり「ある事物の真正性は、その事物において根源から伝えられるもの総体であってそれが物質的に存続していること、それが歴史の証人となっていることを含む。歴史の証人となっていることは、物質的に存続していることに依拠しているから、その根拠が奪われる複製にあっては歴史の証人となる能力もあやふやになる。・・こうして揺らぐものこそ、事物の権威、事物の伝えられる重みに他ならない」と述べている。

この著書を解説した多木浩二氏によるとこの「重み」を総括して「アラウ」であると述べている。だから「日経」のコラム氏が「アラウ」を「霊気」と訳しているが正確でない。作品の中の歴史的重みを含む総称で「複製技術時代に芸術作品において滅びゆくものは作品は「アラウ」である」と述べている。

今回の盗作は確かに色つかいなどに工夫が見られるというが、ベンヤミンの理論からすると模写にすぎない。そこには「根源から伝えられるもの総体」は感じられず、まして「歴史の証人にはなりえない」。作品は「共同制作」や「オマージュ」というが苦しい弁解に過ぎず。70年前ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で説明した「アラウ」はどこにもない。

多木浩二著  ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読  岩波書店 (2000-06-16出版)