書評「ケンカの方法」 | 日月抄ー読書雑感

書評「ケンカの方法」

名うての辛口評論家、辛淑玉氏と佐高信氏の対談と意見をまとめたものである。題して「ケンカの方法」ー批判しなければ、日本は滅ぶーというサブタイトルで、辛辣な批判を展開している。

辛口の小泉批判から始まるが、国民の批判力のなさを二人は嘆いている。世論操作の薄っぺらさのレベルと無知な大衆のレベルがぴったり合っているから確信的なナショナリズムが形成される(辛)。国民の中に「騙されたい、騙され続けていたい」という意識が根をはっているんだろうな。騙されているのだから、自分には責任がないと逃避する。本当に末期的なだね。(佐高)

一面をついているが、私は彼らのこの発言の中に大衆蔑視の意識を感じてならない。進歩的文化人としての鼻持ちならない驕りも感じる。権力を批判するのは結構であるが大衆を馬鹿にしてはいけない。まず最初の二人の対談から感じたのこのことだった。大衆に「批判力をもて」という激励にも取れるが、そのためにはどうすればよいかという提言がほしい

第2章で辛さんは「ケンカのできない野党」とテーマで野党の不甲斐なさを批判している。今の野党が「ケア施設」同然であるという手厳しい批判は当たっている面もある。日本の政党は議員の生活互助組合みたいなものだとという辛さんの考えは極端としても、「国民のために」というのなら、マイノリリティーや弱者に真剣に目を向けるべきであるという意見には賛成である



第3章で二人が「階層化する会社と政治」では辛さんの「プアーホワイト」(高学歴の貧乏な下層労働者)、佐高さんの「社畜」という現代の会社員の見方は面白いが、現状はどうなのか。むしろ正規雇用できない労働予備軍が問題ではないか。二人の考えにステレオタイプとして会社員像を見てしまう。そして弱肉強食の時代を現出したという小泉・竹中を批判しているが、それでは解決にならない。

第4章では佐高さんが「尽きないケンカの相手」について書いている。多くの政治家、文化人を槍玉にあげているが、以前から他の著書にもでてくる人物が多く新鮮味がない。むしろ彼が誉めている凛として生きた反骨の人々(藤沢周平、土門拳、など)に共感する。どうも佐高さんの批判はクサスことであると感じてならない。

第5章では上野千鶴子氏も参加して「2世が日本を駄目にする」の鼎談をしている。2世の政治家のことはさておき、上野さんが在日やアメラジアンなどポストコロニアルの人々の、どっちにも所属しない存在に注目してしてることに惹かれた。ジュニア政治家と違う二世たちの存在を位置づけた上野さんの指摘はさすがである。

この本を読み全体として気負った二人の「生の言葉」には賛同する面も多いが、抵抗も感じる。最後の座談に参加した上野千鶴子さんのの柔らかい言葉の響きにホッとしたところである。

辛淑玉・佐高信著  ケンカの方法 角川書店 2006年4月刊