小野小町と芍薬 | 日月抄ー読書雑感

小野小町と芍薬


6月、芍薬の花の季節である。昨日もう一つのブログ「From Dewanokuni」 に地元の小野小町伝説について書いた。ところが、作家岡本かの子がこれをもとに「小町と芍薬」という作品を書いていることを知った。著作権がなくなったのでインターネット図書館「青空文庫」でも掲載されている。(小町の芍薬

国史国文学の研究家である村瀬君助が小町伝説がある秋田県雄勝郡小野(当時)を訪ねる内容である。おそらく岡本かの子はこの地を実際に訪ねこの作品を書いたものと思われる。次の描写は50数年前のこの地が生き生きと描かれ近くに住む私には想像できる懐かしい風景である。

「北国の六月は晩春の物悩ましさと初夏の爽かさとをこき混ぜた陽気である。梨の花も桃も桜も一時に咲く。冬中、寒さに閉ぢ籠められてゐた天地の情感が時至つて迸り出るのだが鬱屈の癖がついてゐるかして容易には天地の情感が開き切らない。開けばじつくり人に迫る。空の紺青にしても野山の緑にしても、百花の爛漫にしても、くゞめた味の深さがあつて濃情である。真昼の虻の羽音一つにさへ蜜の香が籠つてゐた。芍薬の咲いてゐる所は小さい神祠の境内になつてゐた。庭は一面に荒れ寂れて垣なども型ばかり、地続きの田圃に働く田植の群も見渡せる。呟くやうな田植唄が聞えて来た。」



村瀬君助はなぜこの地を訪れたのか。彼は妻子を失い、伝説の美女小野小町にのめりこみ、「小町は無垢の女だ。一生艶美な童女で暮した女だ」と思い込んだからである。友人は少女病(マニア)のかかったという。今の言葉でいうと「ロリコン」であろう。そして、この地で釆女子(うねめこ)という16歳の美少女に出会う。少女は「この土地は小野の小町の出生地の由縁から、代々一人はきつと美しい女の子が生れるんですつて。けれどもその女の子は、小町の嫉みできつと夭死するんですつて」と顔を芍薬に埋めて摘んだ花に唇を合わせ、白い踵をかへして消えるやうに神祠の森蔭へかくれてしまう。そしてこの作品の最後の場面である。

「失神したやうになつてゐた君助は、やがて気がつくと少女が口づけた芍薬の花を一輪折り取つた。彼は酔ひ疲れた人の縹渺たる足取りで駅へ引き返した。君助は東京へ帰つてから、かなり頭が悪くなつたといふ評判で、学界からも退き、しばらく下手な芍薬作りなどして遊んでゐるといふ噂だつたが、やがて行方不明になつた。」

岡本かの子は一人の男が小町という超現実の美女の俤を心に夢み、小町伝説の地での美少女の出会いを通してその伝説の呪縛から抜けることの出来なかった孤独な男の姿を芍薬に託してを見事に描いている。現在も小町塚のある祠のある山の麓には芍薬が咲いている。

岡本かの子著「小町の芍薬」「花の名随筆6 六月の花」作品社  1999年5月発行