作家・小島信夫氏逝く | 日月抄ー読書雑感

作家・小島信夫氏逝く

体調不良でしばらくご無沙汰してしまった。その間、作家小島信夫氏が10月26日ご逝去された。彼の遺作となってしまった「残光」を読んで数ヶ月経つが、その内容の複雑さを頭で整理できず、感想を書けないままにいたが、その前に91歳の老作家、小島さんは逝ってしまった。この作品は介護施設に入っている妻への思いと自らの身辺雑記から,作家保坂保志との対話、そして過去の作品「菅野満子の手紙」「寓話」「静謐な日々」などの解釈、思い出と自由奔放に飛び、小島文学を全体を描いているとは思いながらも頭が混乱するばかりであった。

彼の代表作、「抱擁家族」は大学教師,俊介の妻時子とアメリカ兵の姦通を通して、夫婦、家庭の崩壊を描き衝撃を与えた。それは従来の日本の男女の倫理がアメリカ文明のもとに否定された日本の戦後の精神状況を捉えたものではなかったかと記憶している。しかし,小島さんはこの「残光」の中で、「満子の手紙」を通して「俊介でもあなたっだていいけど、あの事件が起こったあとーわたしはあんなもの事件とは思っていなけどー 時子があなた、こんなことにうろえてダメよ、といったのはあなたの創造した満子なのだから、それを再現したのだから、というわけよ。あの満子以外のことは時子はどうでもいいことだだったのよ」と編集者に述べたくだりが紹介されている。残念ながら「菅野満子の手紙」は読んでいないが、小島文学を知る上で是非読んでおきたい本である

このようにこの「残光」は小島文学を知る上に参考になるが、私には認知症で殆ど記憶を失っている妻との心のふれあいが胸に響く。この作品の最後の部分である。『十月に訪ねたときは横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんがやってきたんだよ。アナタのアイコだね。アイコさん、ノブオさんが来たんだよ。コジマ・ノブオさんですよ」と何度もはなしかけていると、眼を開いて、穏やかに微笑を浮かべて、「お久しぶり」といった。眼をあけていなかった。』

その小島さんが病棟に臥せる愛する妻を残して最後の光を放ち逝ってしまった。彼の残した作品の多くは、評論家たちはは戦後文学史上「第三の新人」として遠藤周作、吉行淳之介などとともに高く評価されているが、私にはこの「残光」での最後の妻への叫びが心に残ってしまうのである。老境に近づいている自分のことを考えるとなおさらのことである。

小島信夫著   残光  新潮社2006年5月刊