非・常人の国 | 日月抄ー読書雑感

非・常人の国

北朝鮮の核地下実験とその後の開き直り(わが国への宣戦布告)には呆れてものがいえない。国連安保理事会で国連憲章第7章に基づく制裁決議が全会一致で決定したことは当然といえる。

マスメディアは制裁問題に終始しているが、2200万人の北朝鮮人はこの制裁の陰にどんな生活をしているのか心が痛む。日本政府は拉致問対策本部は「全被害者の帰国要求」を要求、対応次第で追加政策措置を検討するという。これも人権問題として当然なことと思うが、北朝鮮政権の朝鮮人民への人権を無視した政治が強化されるのではないかと危惧している。

もう一つ気になるの日本は被爆国として「核廃絶」を目指していることを忘れてはなるまい。世界の核は27000個、米ロで79%を占めると言う。年々減っているというが、北朝鮮やイランが核兵器をもって何が悪いかと開き直られ、既成事実化されようとしている気配も伺われる。核保有国が核不拡散のためにどんな政策をうちだすのかにも注目したい。また、日本は非核三原則を堅持しているが、自民党幹部が対抗措置のために核保有を主張するようでは始末が悪い。

とにかく、金正日政権は尋常ではない。司馬遼太郎は随筆集「風塵抄」の中で、「常人の国」という題名で次のように述べている。「日本は常人の国である。それが私どもの誇りである。常人の国は、つねづね非・常人の思想とどうつきあうのかを、愛としたたかさをもって考えておかねばならない。でなければかえって、”世界などどうでもいい”という非・常人の考え方におち入りかねない。常人にはどんな非・常人よりも、勇気と英知が必要である。」

まさに「非・常人の国」に対して他国がどんな勇気と英知を働かせるのか。これが北朝鮮核実験に対する課題である。現在のところ「制裁」が中心であるが、他にどんな方法があるのか、解決の方向が見えてこない。さがない知人が金正日が亡命し新政権ができたらと・・と話していたが、非・常人の彼が生き延びるために必死の思いであることが伝わってくる。自暴自棄にならないとよいが?

司馬遼太郎著  常人の国(風塵抄) 中央公論社 1991年11月刊