斎藤茂吉の戦争反省 | 日月抄ー読書雑感

斎藤茂吉の戦争反省

歌人、斉藤茂吉の歌が新制中学校国語教科書で出てきたことを今でも覚えている。

死にたまう母

死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

特に最初の歌はその環境に近いところに住んでいた東北の田舎の少年の琴線に触れるもがあった。後にこれは「赤光」という歌集の一部であることを知た。(大正2年)

茂吉は終戦間じかに故郷に疎開し大石田の名家の離れに住んで、そこで詠んだ歌集が「白き山」である。「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」は有名な歌で私の好きな歌である。ところがその歌集の中に次のような歌がある。「軍閥ということさへも知らざりしわれをおもえば涙しながる」全体から見てかなり異質である。この歌については多くの批判がある。

茂吉は戦時中多くの戦争賛美の歌を作ったことで知られている。同じ山形県人の藤沢周平も茂吉の日記「敵がニュウブリテン島二上陸シタ。敵!クタバレ、これを打殺サズバ止マズ(昭和18年)を引用し、「茂吉はこういうふうに熱狂的な戦争賛美であり、協力者であった」と批判している。現在は全集からも戦争賛美の歌は削除し読むことができないが、その彼が「軍閥ということさへも知らない」というのはいかにも白々しくおかしいというのである。これは一説によると「戦犯指定」を免れるための自己弁護の歌ではないかというのである。

偉大な作家を貶す気持ちはさらさらないが、茂吉にも触れられたくない過去があったのである。同じ「白き山」のなかに「追放といふことになりみづからの滅ぶる歌を悲しみなむか」と開き直りともとれる歌がある。彼にとって「戦争賛美は自分だけ一人でやったのではない」という気持ちがあるのだろう。

ふと茂吉を思い出したのは、昨今の靖国参拝問題にちなんで、まやぞろ「戦争責任」の問題提起をする動きがでてきたからである。A級戦犯の責任はさておき、多くの文化人、ジャーナリストたちは戦争中の行動についてどんな反省をしたのか。

その意味ではその後ろめたさをもらした茂吉の弱さが理解できる。彼のいかにも東北人らしい愚直さを感じるのだが・・・。今日改めて彼の歌集を読んでみた。やはり優れた歌が多い。

斎藤茂吉著 斎藤茂吉歌集 岩波文庫  1973年9月刊