吉村昭氏の尊厳死 | 日月抄ー読書雑感

吉村昭氏の尊厳死

作家の吉村昭氏の死については、ブログで哀悼の意を捧げたが、吉村さんのお別れの会が24日開かれ、妻で作家の津村節子さんが発病から1年余りの闘病の様子を語った。それによると、吉村さんは昨春舌ガンを宣告され放射線治療を受け今年の2月に膵臓ガンがわかり全摘出手術を受け療養していたが,この7月に病状が悪化し、死の前日、点滴の管と首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートを自らの意思で引き抜いたという。吉村さんは「延命治療をしない」意向だったために、家族は治療を断念したという記事が載っていた。

私はこの記事を読んで吉村さんの著書「冷い夏、暑い夏」を思い出した。この本は吉村さんの私小説で、2歳違いの弟がガンにかかったときに、事実を弟に隠し通す決意する。周囲に対する厳重な口止め、弟に読ませるためのニセの日記まで用意する徹底ぶりである。

弟を愛し、よりよく死なせたいという彼の願いがひしひしと伝わってくる文章である。しかし、よく読むと吉村さんの心のゆれも伺われる。「不意に私の胸に、弟を死なせてやりたいと願いに近いものがかすめ過ぎた。・・・弟が激痛にあえいでいた頃、私は院長に延命より安楽を・・・と兄の立場をつたえたが、それは巷間、是非の論じられる安楽死とは本質的に異なる。私が安楽という言葉を口にしたのは、激痛をやわらげる方法を積極的に採用して欲しいと望んだからで、その方法をとることによって死が幾分早まってもやむを得ない。・・・・私が弟を死なせてやりたいと思うのは、安楽死という意味ではなく、あくまで自然死が条件である。」

弟のガンについてその「生」について「熱い」思いで看病しながら、一方では延命よりも苦痛軽減のために何かを施し、それで命がみじかくなってもやむをえないという「冷い」冷静さを吐露している。題名の「冷い夏」、熱い夏は象徴的な表現である。

これは吉村さんが若いときに肋骨を切断する激痛の結核手術の体験もからんでいるといわれる。今回の「延命治療をしない」という吉村さんの尊厳死は、この自己体験、弟の死の体験による彼の死生観からきたものではないかと思えてならない。彼の書いた「冷い夏、熱い夏」は、そのままこの熱い夏に亡くなった吉村さん自身のものになってしまった。

吉村昭著  冷たい夏 熱い夏 新潮文庫  1990年6月刊