ロシアの漁船襲撃・拿捕事件 | 日月抄ー読書雑感

ロシアの漁船襲撃・拿捕事件

北海道根室沖の北方領土・貝殻島付近で16日、日本のカニかご漁船「第31吉進丸がロシアの国境警備艇から銃撃を受け、拿捕された。乗組員の盛田光広さんが銃弾を受け、死亡した。その盛田さんのご遺体が昨日19日根室港に帰ってきた。

日本は千島列島の中の国後島・択捉島、色丹島、歯舞諸島は日本固有領土のと主張しているわけであるが、ロシアとの交渉はいまだ解決しない。この経緯については外務省のHP北方領土問題 に詳しい。

今回の事件は歯舞諸島の水晶島付近で操業中の蟹かご漁船がロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕されたものである。元来この付近の海域での無許可操業は農水省や北海道当局も禁止しており、またカニ漁に関しては日本側には認められていなかったが、生活に追われた漁民の密猟が絶えない海域であったようだ。

それにしても、ロシア側の過剰な銃撃・拿捕には怒りを覚えるが、日本政府の普段の外交を怠ったツケが今回ってきた感じがする。政府はロシア当局に対し、北方領土は日本固有の領土であるとの前提に立って「日本領海内で起こった銃撃・拿捕事件であり、到底容認できない」と抗議しているが遅きに失した発言である。

この千島列島をめぐる日本ロシアの関係の歴史は古い。ロシア船ディアナ号は1811年国後南端の港に立ち寄り、船長ゴローニンが幕府に身柄を拘束される事件がおきている。それ以前にロシア船が日本船を襲ったりして警戒していた矢先ある。ゴローニンは2年間日本に幽囚されることになる。この2年間の生活を記録したのが「日本幽囚記」で、当時の貴重な北方史料になっている。

さてこのゴローニンを救出すべく同じデアナ号でやってきたのが、リコルド船長で水晶島から国後島へ航海中の高田屋嘉兵衛の観世丸を拿捕、彼を拉致する。このことについては司馬遼太郎の「菜の花の沖」に詳しい。結局リコルドは嘉兵衛の人柄を信じ、幕府との交渉に当たらせ、ゴローニンは無事帰国する。司馬は嘉兵衛の見事な民間外交を賞賛している。今回の事件で感じることは相手に抗議をすることも必要であるが、普段のお互いを信頼を獲得する国家間の信頼関係の構築である。最近の日本には相手を攻撃するだけの狭いナショナリズムが横行している感じがする。

ゴロヴィン著 井上満訳 日本幽囚記(上下)岩波文庫 1986年6月刊
司馬遼太郎著 菜の花の沖 (5巻、6巻) 新潮文庫  2000年9月刊