私にとっての8月15日 | 日月抄ー読書雑感

私にとっての8月15日

今日の各紙とも8月15日の小泉首相靖国参拝が一面のトップを飾っている。まさに小泉劇場の最後ともいうべきワンマンショウである。彼が言うように「個人の心の問題」だとしたら、騒ぎたてることはあるまい。わたしは無視したい。それ以上に8月15日終戦の意味を考えたいと思っている。

1945年8月15日、私は9歳、小学校3年生であった。残念ながら天皇の玉音放送は聞いていない。しかし数時間後、学校の先輩たちを通して日本が戦争に負けたことが伝わった。その数日前からアメリカの飛行機が飛び、ビラを撒いたことを目撃しており、悪い予感はしていた。日本はどうなるのか友人たちと幼いながら不安を話し合ったことを覚えている。

作家の高見順は「『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃたらみんな死ぬわね』と妻が言った。私もその気持ちだった。やはり戦争終結であった。君が代奏楽、内閣告諭、経過の発表。遂に敗けrたのだ。戦いに敗れたのだ。(敗戦日記)と述べているが、内容のわりに終戦の切実感が伝わってこない。

太平出版社がシリーズ「戦争の証言」20巻を発行したが、その中の一冊、小熊宗克の「 死の影に生きて 太平洋戦争下の中学生勤労動員日記」を読んだ衝撃は忘れられない。

戦争は終わってしまった!? 考えもみなかったことが突然起こった。頭が空っぽになった。目の前が黒くなったり、赤くなったりした。冗談じゃないと思った。そんなばかなことがあるのか。この期におよんで何事だ。陛下、なぜ降伏したのですか。この私はいったいどうなるのですか。私はこの汚名をどうしてぬぐったらよいのですか。この戦争を止められては絶対困る。・・・・陛下なぜ最後まで戦わないのですか。なぜ「朕のために死ね」とおっしゃらないのですか。

このような純粋な軍国少年がたくさんいたに違いない。近くの年上の旧制中学生たちの中にも、軍事工場動員、さらには「予科練を」希望したの人がいることを知っている。戦争終結はこのような軍国少年の気持ちを混乱におとしいれたのである。戦争は多くの戦死者、犠牲者を出したばかりでなく、人間の精神まで錯乱させたのではないか。私は自分のかぼそい体験をもとに61年前の8月15日、日本人がどんな気持ちで終戦をむかえたかをもっと知りたい。靖国参拝のパフォーマンスにつきあっておられないのである。

小熊宗克著著 死の影に生きて 太平洋戦争下の中学生勤労動員日記  太平出版社 発行年月 1979年刊10月 刊