死者を食う蟹 | 日月抄ー読書雑感

死者を食う蟹

日本文藝家協会編の「ベストエッセー2006」 を光村図書から発売中で,選ばれたエッセイ78篇を収録している。HPにはその執筆者一覧 を載せている。

この本を購入しようとした矢先、岩波の書評誌「図書」8月号に、この「図書」から、7人の方の作品が採用されていることを知った。早速バックナンバーを調べてみると、その中に詩人小池昌代の「死者を食う蟹」がある。これは私には頭に残っている忘れられないエッセーである。

友人たちと「食べられないものの話」をしていたとき、詩人会田綱雄の詩を思い出したというのである。会田は「戦争のあった年にとれる蟹は大変おいしい、なぜならその蟹は死者を食ったから」という話を昭和15年「南京特務機関」にいて占領され虐殺された側(中国)から聞いたというのである。この口承をもとに詩「伝説」を書いたことを小池さんは紹介している。

わたしたちがやがてまた
わたしたちのははのように
痩せほそったちいさなからだを
かるく
かるく
湖に捨てにいくだろう
そしてわたしたちのぬけがらを
蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
むかし
わたしたちのちちははのぬけがらを
あとかたもなく食いつくしたように
それがわたくしたちのねがいである
(伝説の一部)

小池さんは「戦争というのは二者の鮮やか対立線をひく。勝者と敗者、加害者と被害者。そういう観点から語られるけれども、この詩においては背景に「戦争」がありながら、もはや加害者と被害者といういう二項だては無効なものになっている。「生者」と「死者」というたてかたがあるだけだ。そしてふたつは、対立でなく、連綿と続く、同一線上のものとしてとらえている。」と解釈している。

人間は蟹を食べる連鎖が続いている。つまり人間の残酷な生は蟹を通して鮮やかに見えてくる。最初に死者を食った蟹を食った人にわれわれがつながっているからである。

このように考えてくると戦争は「死者」と「生者」しかいないという会田の詩から、いくら戦争に正義の御旗と振りかざしたとしても、いたいけな多くの子供が殺害されたレバノンにおけるイスラエルの行動は「死者」を食った蟹を食べ続けているような気きがしてならない。

小池昌代作  「死者を食う蟹」   図書(岩波書店) 2005年1月号