A級戦犯広田弘毅と靖国合祀 | 日月抄ー読書雑感

A級戦犯広田弘毅と靖国合祀

靖国神社へのA級戦犯の合祀をめぐっては今月、昭和天皇が不快感を示したとされる88年当時の宮内庁長官のメモが明らかになった。今日のASAHI・COMによると、東京裁判でA級戦犯として起訴、処刑された広田弘毅元首相が靖国神社に合祀されていることについて、孫の元会社役員、弘太郎氏(67)が朝日新聞の取材に応じ、「広田家として合祀に合意した覚えはないと考えている」と、元首相の靖国合祀に反対の立場であることを明らかにした。「靖国神社は、遺族の合意を得ずに合祀をしている。処刑された東条英機元首相らA級戦犯の遺族の中で、異議を唱えた遺族は極めて異例だ」だという記事を載せている。靖国神社広報課は「広田弘毅命に限らず、当神社では御祭神合祀の際には、戦前戦後を通して、ご遺族に対して御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」としている。要するに遺族の意向も聞かずに合祀しているわけである。

広田弘毅は絞首刑にされた7人のA級戦犯のう唯一文官出身であった。彼の生き方については城山三郎が小説「落日燃ゆ」に詳しい。判決内容は広田が首相や外相として「共同謀議」に加わり、日中外交の努力を欺瞞政策と決め付けらている。そして判決は6対5の1票差であった。

教誨師の花山信勝が死刑の間際に「何かありませんか」という聞いたときに「すべて無に帰して、言うべきことをいって、つとめ果たすという意味で自分はきたからいまさら何もいうことは事実ない。自然に生きて、自然に死ぬ」と述べ、家庭の手紙も不満や愚痴めいたことは一切書かなかったといわれる。

板垣征四郎や木村兵太郎 が「バンザイ(万歳)」を叫び断頭に上がったとき、広田は意識して「マンザイ(漫才)」といったことを花山教誨師は記録している。城山さんは「これは広田の最後の痛烈な冗談ではなかったか。万歳!万歳!の声、それは背広の男広田の協和外交を次々とつき崩していく悪夢の声である。生涯自分を苦しめてきた軍部そのものである人たちも心ならずも一緒に殺され行く。このこともまた、悲しい漫才でしかない。」と述べいる。しかし広田の戦争責任は残る。それを毅然として受け入れ一切弁解しなかった彼に愛惜の念は残る。

城山三郎さんは「広田さんのご遺族の思いを聞いて、やっぱりそうか、との思いが深い。ご遺族の言葉に付け足す言葉はない。広田さんだったらどう思うか、どうしただろうか、熟慮したうえでの考えだと思う」と話している。

城山三郎著  落日燃ゆ  新潮文庫  1986年11月刊