「医療崩壊」を読む | 日月抄ー読書雑感

「医療崩壊」を読む

先日ブログに「赤いひげ的医者はもういないのか」という書き込みに対して勤務医の方から医療の現状はそう単純ではないとのご指摘を頂き、勤務医の現状を知るために「医療崩壊」という本の推薦を頂いた。早速その本を読み、自分が現代医療の状況にいかに無知であったか思い知らされた。

著者の小松氏は大病院の泌尿器科部長である。まず日本の医療機関は「医療費抑制」と「安全要求」の相矛盾する強い圧力にさらされていることを指摘し、医療が崩壊の危機に瀕している現状を述べている。

特に、患者は医学万能を信じその回復を期待し、一方医師は医療の限界、危険性を知っておりそこの医師と患者の考え方に齟齬が生じる事を指摘している。そこで著者は医師の医療ミスに対する患者の訴え、さらには刑事・民事訴訟、ジャーナリズムの医師批判と針の筵に座らされている現状を具体的事例(事件)を通して述べている。

現在「週刊朝日」で久間十義の「生命徴候(バイタルサイン)あり」の連載中である。今週号に、心臓手術に失敗した患者を心カテーテルで緊急治療したが、容態が悪化し、遂に死亡する場面がでてくる。患者の家族の一人が「遅かれ早かれ早晩心臓がダメになるはずである。その早晩の1,2年をこの病院の先生がたがよってたかってウチの父からとりあげたじゃないですか」という医師に対する家族の身勝手な訴えに対して夜を徹して真剣に説明する医師の態度には頭が下がった。著者によると、最近患者の自己本位の訴えが増えていることを具体的な事例は通して説明している。



最近では医療現場に警察が立ち入り、善意の医療が結果次第で犯罪になり、また患者の権利意識は社会の後押しのために肥大化し多くの医師は口ごもることが多くなっているという。これは著者の医師としての自己弁護ではなく真剣な訴えになっている。というのは勤務医が厳しい勤務条件のなかで我慢して患者のために頑張ることを放棄しはじめている現状があるからだという。私が地元の公立医院の循環器科の医師が辞めていくことに怒ったが、その背景は単純でなかったことに気付いた。

現在、日本全国で勤務医が楽で安全で収入の多い開業医にシフトし始め、病院で医師が不足しており、小児救急の崩壊、産科診療の崩壊も進行しているという。著者はこの現象を「立ち去り型サボタージュ」と名づけ、この本のサブテーマにもなっている。かって中世・近世に農民が土地を捨てる「逃散」があったが、この医師のサボタージュはそこまでいかなくても社会からの攻撃に対する医師の消極的対抗手段ともいえなくないという。しかし私には対抗というより逃亡としか写らない医師もいるように思われる。

最後に著者は日本の医療の崩壊を防ぐためには医療事故・紛争に関して現状改革、医療への過剰な攻撃を抑制をあげ、さざまな提言をしている。これは日夜勤務医として頑張っている著者はじめ多くの医師の要求でもあることは理解できる。この本は医師の置かれている現状(特に勤務医の苦悩)を知る上に格好の著書であり多くのことを学ぶことができた。

しかし、私には当面する地方の医師不足をどするかという問題意識があり、この本は直接には答えていないが、大学医学部・医局の医師派遣問題、厚生労働省の医療行政に触れておりそこから問題解決の糸口をつかむことができる。特に辺地医療をどうするのか、一人暮らしの年寄りなど老人医療をどうするのか。患者の権利肥大はわかるにしても、弱者の医療問題についても著者の考えを聞きたいものである。

小松秀樹著  医療崩壊「立ち去り型サボタージュ」とは何か  朝日新聞社 2006年5月30日刊