「松本清張と昭和史」(書評) | 日月抄ー読書雑感

「松本清張と昭和史」(書評)

松本清張の著書、「昭和史発掘」と「日本の黒い霧」を通して彼の昭和史観を分析した本である。「昭和史発掘」は、昭和前期に起きた20の事件を通して昭和の時代に迫っている。著者の保坂さんはその視点としてまず清張の恵まれなかった不遇な経歴から、「底辺の視線」からものを見ていることに注目している。清張はこれらの事件を収集した多くの資料に基づいて、歴史の中で生き抜いた人間、軍部が巨大な権力をを獲得し日本が誤った方向に進めていく方向を描き出したとしている。

特に興味を引くのは、アカデミズムからするとこのような在野の研究を基本的に認めない方向であったといわれる。つまり実証主義的検証をしているが、アカデミズムが持っている演繹的な史観から距離を置いていたからと保阪さんはいう。また清張は既成左翼の文化をになうという意識をもっていなかったからこちらからも警戒の目をもたれたようだ。私は戦後のアカデミズムや既成左翼の驕りと教条主義を感じてならない。しかし、証言、収集資料に迫真性や衝撃性や多くの読者を惹き付けたようだ。

特にこのの中で「2.26事件」に力を入れている。清張は現在の日本の保守政治が旧体制に回帰する懸念から、2・26事件の青年将校の歪んだ愛国主義、統制派の歪んだ高度国防国家構想を見抜き、これを実証することによって歴史の教訓にせよとの訴えであったという保阪さんの見方は納得できる。

後半は「日本の黒い霧」についての分析である。戦後占領期において下山・松川事件など奇怪な事件がおきているが、ここでは清張は「謀略」の視点からこれらの事件に迫っているのが特色である。しかし保阪さんは清張の謀略史観は説得に値する資料、論理があり他のものと一線を画していると見る。しかし彼の文学に親しんでいない人間からすると「日本の黒い霧」は余りにも都合のよい史実で繋ぎ合わせているという批判を保坂さんは否定しない。いずれにしても占領期に起きた事件は未だ謎の部分が多い。清張はそれに敢えて挑み占領期の魑魅魍魎を我々に提示したのは彼の功績である。

この本は昭和史の視点からの松本清張分析であるが、何故彼が敢えて昭和史の断片追求に挑んだのか?保坂さんは「彼が日本人の性格は過去を忘れ急角度にその性格が変わっていく面がある」という危機感があったからという指摘は重い。日本の現状を見るとき思い当たるフシが多い。過去の問い直し検証が今こそ必要である。

保阪正康著  松本清張と昭和史  平凡社新書  2006年5月刊