赤ひげ的医者はもういないのか? | 日月抄ー読書雑感

赤ひげ的医者はもういないのか?

昨年8月移転新築したばかりの地元の公立病院が危機に瀕している。循環器科で昨春まで8人いた常勤医が辞めて1人だけになったのだ。辞めた7人のうち、4人は東北大学医学部付属病院から派遣されていたが、一昨年スタートした臨床研修の必修化に伴い医局の医師不足が深刻化し引き上げ、3人は開業である。現在入院患者の受け入れを休止中である。

現在は常勤医1人のほか、近隣病院や秋大医学部付属病院、開業医の応援を得て、外来診療に当たっているほか、循環器系の救急患者については、消防と連携し近隣病院などに搬送している状態である。

医師不足による地域医療の危機は日本の各地で起きている。医師の都市集中のためである。かって新人医師には、医師免許取得後10年以内に1年以上の「地域医療研修」を義務化してはどうかとの声もあったが立ち消えになったらしい。

ふと、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を思い出した。この小説は幕府の御番医という栄達の道を歩むべく長崎遊学から戻った保本登は、小石川養生所の“赤ひげ”とよばれる医長新出去定に呼び出され、医員見習い勤務を命ぜられる。貧しく蒙昧な最下層の男女の中に埋もれる現実への幻滅から、登は尽く赤ひげに反抗するが、その一見乱暴な言動の底に脈打つ強靭な精神に次第に惹かれてゆく。傷ついた若き医生と師との魂のふれあいを描いた作品である。

赤ひげの言葉として「医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬札稼ぎを専門にする、似而非医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ。仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ。」

私は地方を見捨てる医者が全てこのようだと思いたくない。しかし、医者としての人間の命を守るという使命感を忘れてほしくない。東北大は自分の医局の危機で派遣医を引き上げたことも、いわばお家大事のためである。せめて使命感を考えれば半分は残せたはずである。「赤ひげ的医者」は最早望むべきもないが、命を守る医師としての自覚に待つのは不可能なことだろうか。今日も近くに救急車の音がした。搬送される病院は?と人ごとながら心配になった。

山本周五郎著   赤ひげ診療譚改版 新潮文庫   2002年8月 刊