自分の本懐問え | 日月抄ー読書雑感

自分の本懐問え

福井日銀総裁が村上ファンドに1000万円を拠出しその運用額が2200万になっているという。彼自身与野党の政治のかけひきに巻き込まれて気の毒な点もあるが、ルールに抵触しないといいながらその姿勢はいただけない。

今日の毎日新聞のシリーズ「戦後60年の原点」で「経済成長」をキーワードに作家の城山三郎さんが「自分の本懐問え」のテーマで戦後経済の発展について記者の質問に答えて語っている。

そのなかで「本にされている経済人も多いですが記憶に残る人物は」に答えて「土光敏夫さん。経団連会長を辞め、第2次臨調の会長をしていたころ、自宅を訪ねると玄関の戸の滑りが悪くて開かない。ガタガタやっていると、土光さんが庭先から「そこはだめだ。こっちこっち」と手招きして縁側から家に入られれましてた。あばら家でね、庭の手入れもしない。私心のない人でね、臨調も日本のため、それがアジアのためになればと引き受けたのでしょう」と述べている。

いささかも私心がなく、国家経済の改善に乗り出した土光さんは城山さんにとっては「自分の本懐」をとげる好ましい人物に写ったようだ。城山三郎編「男の生き方40編」の中に土光さんの長男、陽一郎さんが「日曜日のない父」の題でエッセーを載せている。

とにかく家庭を省みず、家では過去のことや仕事のことを話さなかった人であったらしい。父の好きな言葉は中国の古典「大学」に出てくる「まことに日に新たに、日々新た、また日に新たなり」でその日一日を大事にしようと生きていたという。「ミスター合理化」といわれた土光さんであるが、土いじりが好きで家ではつつましい生活であったようである

城山さんは「ホリエモンや村上ファンドについて聞かれ「いつの時代にもああいうはざまに生きる人は出るもの。でも私の小説の素材にはなりません。要するに金儲けだけでしょう。カネの力に任せるところに美学はない。金儲けのうまい人や会社に興味なし。勘弁です」と切り捨てている。

そして男であろうとあろうと女であろうと「ここが自分の本懐」があるということですね。国民が意識がもてば「国の本懐」がみえてくるのではないでしょうか」と述べている。かって城山さんは国鉄総裁をした石田礼助を「粗にして野だが卑ではない」と表現したが、今の経済人には日銀総裁を始めとしてスマートだが「卑しい」人間が多すぎる。

城山三郎編 男の生き方40選  上・下  文芸春秋社1991年4月刊