哀悼、詩人宗左近さん | 日月抄ー読書雑感

哀悼、詩人宗左近さん

詩人・評論家の宗左近さんが19日未明、東京都内で死去した。尊敬し親しみを感じていた人々が最近お亡くなりになり寂しい。詩人・作家の清岡卓行さん、作家の米原万里さん、歌人の近藤芳美さんとブログで哀悼の意を表したばかりである。

宗さんがその人生の中で出会った沢山の詩歌を紹介した「詩歌のささげもの」 の読み感銘を受けた点をHPにメモしている。その中で、私は「昭和20年の東京空襲の火炎の中で母と別れ離れになり死なせたことを自分の責任と感じ、常にそれを負い目に「自分の罪」として生きてきたことが彼の詩の原点にあるということである。自分が被害者でなく加害者であるという彼の意識はずしりと胸に響く」と書いた。

宗さんは、縄文土器の収集家としても知られている。宮城県加美町にの縄文芸術館 には、宗さんが半生をかけて収集した縄文土器・土偶のコレクション200点が寄贈されたのが展示されている。2度ほど訪れたことがあるが、特に東北地方に出土した土偶、深鉢、壷などの土器には魅せられた。さすが詩人の感性はこの縄文の凄まじい超時空のエネルギーの別名こそ詩であるという言い方をしており圧倒される。

しかしなんと言っても空襲で亡くなった母を詠った「燃える母」が頭から離れない。この1月に詩集が愛蔵版として発行されたばかりである。詩の後半部である。



見ている炎の海はたちさったけれど
見みえない炎の海があふれかえっているのだから
サヨウナラはないサヨウナラとはいえない

ああ炎えあがり炎えあがりつづける母だから
わたしのまるごと垂直に宙に吸いあげられてゆきかねない
この白すぎる朝を焼きおとすために
この光すぎる中空を煙らせるために
サヨウナラはいわないサヨウナラはいいえない
わたしは炎されつづけてゆかなければならないのだから
サヨウナラぐるみ炎していったもののためにわたしは
サヨウナラぐるみ炎されつづけていかなけばならないのだから
懐かしい母の乳房の匂いのする
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ
幼い日の夕焼けの染めている
サヨウナラはないサヨウナラよサヨウナラ

戦争犠牲者や縄文人への鎮魂をうたい続けた詩人の宗左近、享年87歳。合掌。

宗左近著  長篇詩 炎える母   日本図書センター (2006-01-25出版)