歌人、近藤芳美さん逝く | 日月抄ー読書雑感

歌人、近藤芳美さん逝く

戦後短歌を担い手であった近藤芳美さんが21日亡くなった。短歌に疎い私がなぜ近藤さんを知っているかというと、20数年前彼が著した「青春の碑」という自叙伝に感銘を受けた記憶があるからである。書架から埃のかぶった本をとりだし読み返してみた。

この本は近藤さんの旧制中学校、高校、大学時代、さらに中国での軍隊生活を短歌とのかかわりを中心に、家族、友人、歌人などの人間関係を描き、彼の思索する様子を率直に述べているのが印象的ある。昭和10年代、近藤少年は日本の戦争の足音の響きを目に見えない重圧として鋭敏に嗅ぎ取っていたようである。また旧制高校時代の寮生活で文学・人生を語り合う体験もしている。そこには多くの友人の名前が出てきて詳述されている。

同じ町に転地してきたアララギ派歌人中村憲吉と知り合い、さらに土屋文明に近づく。特に文明の出会いは強烈である。近藤さんの原稿をざっと目を通すとも一度全部作り直すように指示する。しかし忘れられたように片隅に残っていた近藤さんに優しい言葉をかける。文明の厳しさと優しさが伝わってくる場面である。

近藤さんは東京工大の建築科に入学するが、アララギとの関係を保った生活を送っている。当時の近藤さんの短歌が紹介されている。「国論の統制されていくさまが水際たてりと語り合うのみ」文明は「こんな歌を作っているといまに君は縛り首になるぞ」と荒い声で冗談をいったという。

しかし近藤さんのつぎの言葉が歌人としての芽生えと姿勢がうかがわれる。「周囲の世界が次々に音をたてて崩れていくような日、だれもしだい同じことを語りだす日、少年の日から、いつもためらい友人たちに恥じるように作りつづけた短歌だけが、自分の最後のことばだと私はひとり思い始めた」近藤さんの短歌生活の原点ではないか。



中国での軍隊生活体験についても詳述しているが、軍隊で上官に不条理な目に合いながら近藤さんはただ非難するのでなく、そのよさも見つけ出し描いている点は凡百の戦争体験記ではない。ただ、彼は病気で戦場に赴いていないが、日本兵の残虐な行為について兵士が語り合った事実を書き留めている。この戦争体験が近藤さんの精神生活あるいは作家活動に影響をあたえたことはまちがいない。

また妻年子さんとの出会いと結婚、支えあう二人の描写は美しい。病身の彼女をいたわりけなげに生きていく姿に感動する。死亡記事によると喪主は年子さんになっているようで未だ健在であることを知った。

この本は近藤さんは「青春の碑」と名づけているが、「今は過去になってしまった戦争を一時期の青春として共に学び、共に苦しみ、それぞれの生き方を求めて死んでいった人々を私の悔いの記録と共にひそかに目に見えない石に向かって刻みつけたかったからである」とのべている。謙虚に生きた近藤さんらしい言葉である。

私は残念ながら近藤さんの短歌の作風にについての知識はもたない。2年前、90歳を過ぎてからの歌集「岐路」を発行。その中に「テロリズムに加担するか文明の側に立つか問う単純のすでに仮借なく」 というのがあった。「今現在が時代の岐路だ。戦争とは何か。人間と戦争の関係を中世まで遡って考えなければならない」と述べていたという。(毎日新聞、坂井佐忠氏)未だ鋭い文明批評を持ち合わせていたことに驚嘆する。

過去の体験を忘れず真摯に生きた近藤芳美 享年93歳。合掌

近藤芳美著  青春の碑(上、下)1979年10月刊