善意の押し付け | 日月抄ー読書雑感

善意の押し付け

地元の福祉関係紙に母親ボランテアのグループが一人暮らしの中高年者に月に何回か弁当を届ける活動をしている様子が載っていた。たまには一緒に会食する機会も設けて喜ばれているそうである。確かに善意の活動に違いないが、私のような天邪鬼には素直に受け取れないものがある。

アメリカの作家で、庶民の哀歓とユーモアを描いた作家O・ヘンリーがいる。彼は数多くの短編を書き「最後の一葉」「賢者の贈り物」などは知られた作品であるが、その中に「善女のパン」というのがある。

40歳になったミス・マーサは独身で小さなパン屋を開いている。毎日固くなった古パンの塊を買いに来る画家風の男がおり密かに思いを寄せ、めかした服装をして応対する。ある日、古パンを求めた時、たまたま消防車が通り過ぎ、男は戸口に見に行く。そのスキにミス・マーサは男が買ったパンを深く切り込みバターを塗り包んでおく。

翌日、その男が血相を変えて店に来る。毎日笑顔で会話を交わしていた男が「おまえみたいなやつを、おせっかいのバカ女というんだ。」と叫ぶ。止めに入った仲間の若い男によると、彼は建築の製図家で新しい市役所の設計図の懸賞に応募するために鉛筆で下絵を描き、それが出来上がると一握りの古いパン屑で下絵を消していたのだ。(消しゴムよりよく消える)それが彼女がパンにバターを塗ったばかりにその設計図が駄目になってしまったというのだ。

最後の場面がO・ヘンリーらしい終わり方である。「ミス・マーサは奥の部屋に行った。水玉模様の絹のブラウスをぬいで、いつも着ていた古い茶色のサージの服に着替えた。それからマルメロの実と硼砂との混合物を、窓の外の屑箱へ捨てた。」

相手を考えない思い込みの善意は他者を傷つけることが多い。私には「善意の給食弁当」にそれを感じてしまうのである。他人の食事にまで口を出さないでほしいというが私の考えである。

O・へンリー著   O・ヘンリー短編集(一) 新潮文庫 1993年3月刊