「憲法第9条を世界遺産に」を読む | 日月抄ー読書雑感

「憲法第9条を世界遺産に」を読む

題名が突飛であるが、人類学者中沢新一氏と「爆笑問題」太田光氏の真面目な対談である。内容は大きく標記の題と「宮沢賢治と憲法問題」である。この二つについて感想を述べてみたい。

中沢さんは最近、「対称性人類学」「芸術人類学」を著しているが、彼の著書には宗教性がつきまとう。特に人間と動物は長い間の敵対関係の歴史があったが,動物も別の姿をした一人の人間と考えることによってこの他者を同胞として受け入れてきた神話が生まれたというのである。つまり対立があると生命体は同一性を保つために免疫機構を備え、自分の内部に外から異質な力を排除してきたが、神話はこのような免疫解除原理のとに、免疫否定の考えを保ってきたというのである。そのような視点から「憲法第9条」は免疫性をを備えない近代思考に先立つ神話的思考に表明された「深エコロジー的思想」と同じ構造であるとの主張である。

戦争と平和の視点からしか考えない我々の考えからすると新鮮な発想である。太田さんがたまたまTVで「憲法第9条を世界遺産に」といった言葉を捉え二人の対談になったようだ。二人は日本国憲法を巷にいう「占領軍の圧力による憲法」と捉えず、「日米合作の憲法」であり、そこにはアメリカの建国精神が含まれているという発想も面白い。理想主義的なドンキホーテ的現憲法と集団的自衛権がなければ日本は防ぎようがないというサンチョ=パンサ的現実政治の二人が二人三却の中で日本国家は生きてこられた。だからこの憲法は近代国家の珍品として世界遺産であるという考え方を批判することは容易い。しかし理念としての憲法を考える上で胸に響くものがある。

宮沢賢治と日本国憲法に若干触れておきたい。賢治はある時期、法華経の関心を示し上京し田中智学の「国柱会」に入信している。田中の考えは国家主義に発展し、唱えた「八紘一宇」が軍部や右翼に利用された歴史がある。賢治研究者には確かにこの田中との関係に触れない人が多いが、これに着目した中沢さんはさすがといえる。賢治は半年で帰郷しその後「童話」つくりに没頭する。愛に満ちた賢治の童話の世界しか知らない我々には、彼の宗教的情熱に国家主義の影があったこと。賢治はそれを察知にしていたのか、知らずいたのか興味あるところである。

最後に中沢さんの学際的な博覧強記は知っていたが、太田さんの豊富な読書体験と鋭い感性に感心した。只者ではない。

大田光・中沢新一著   憲法第9条を世界遺産に  集英社新書  2006年8月刊