網野善彦氏批判 | 日月抄ー読書雑感

網野善彦氏批判

11月22日の毎日新聞「記者の目」は「歴史家・網野善彦氏が残したもの」という題で栗原俊雄(学芸部)記者が書いている。それによると、「取材で知ったのは、網野氏に対して冷淡な研究者が多いということだ。ある教授は「大学院生には、少なくとも今は、網野さんの引用はやめた方がいい、と言っています。それだけで妙な先入観を持たれますから」。網野氏のもともとの専門は中世だったが、古代から近現代まで幅広く発言し、論述するようになるにつれ、批判も多く受けた。「実証性が乏しい」「空想的浪漫主義」とさえ断じた研究者もいる。」というのである。

故網野さんが異端視されていたことは知っていたが、今もって批判されているとは意外であった。特に彼の代表的な研究「無縁・公界・楽」を読んだときの衝撃は忘れられない。小生も、書評 のなかで、「網野さんの考え、いわゆる「網野史観」は今まで歴史の前面に出なかった人間に焦点をあて、中世にも「自由」があったという点で画期的であるが、やや理念的であることに、他の歴史学者の反論があった。その意味では孤独な研究であったようだ。しかし、彼は組織を組む訳ではなく、最後まで自分の考えを貫いた点は評価する方も多い。」と書いた。

「無縁」とは,既存の社会秩序から切り離された自由な領域であり、それは古代社会において存在した避難所(アジ―ル)概念に通じその例として江戸時代まで残っていた「駆け込み寺」があげられる.また「公界(くがい)は、能役者や占い師あるいは、白拍子(遊女)などで、公界往来人とは,特殊な職能を認められて,手形や通行証なしに自由に各地を歩きまわれる人びとを指す。「楽(らく)」とは戦国時代の「楽市・楽座」が示すように、諸規制から解放された「自由」の意味があり中世の自由都市と言われた「堺」はそのような状態であったというのである。

網野さんはこのように従来の中世の日本のイメージを変えてしまった。栗原記者が最後に「学問を深化させるためには、先行研究を批判的にみることが必要だ。しかし批判に力を込めるあまり、大事なものを見失うことはないだろうか。網野氏は多くの研究業績を残した。それはもとより、教育者として学問の成果を社会に、歴史に疎い素人にも還元しようとした姿勢もまた、私たち後に続く者が継承すべきものだろう」という意見を謙虚に受け止めるべきである。

網野善彦著  無縁・公界:楽  平凡社 1996年6月刊