日月抄ー読書雑感

Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

NHkブックレビュー異聞

毎週日曜日のNHkBS2TVの「週刊ブックレビュー」を楽しみにしている。3人のゲストが各々3冊の本を紹介し、その1冊を合評するものである。昨日5日のゲストと紹介本は次の通りである。(2006年11月05日放送内容 ) その中では女優の岩崎ひろみさんの話は書評の体をなしていなく、痛々しさを感じてしまった。初めての参加ということもあるが、玉木正之さんの推薦した「これが経済学だ」については「経済学」の本ははじめて読んで参考になっただけで内容に触れた感想は聞かれなかった。また高野明彦さんの推薦した「縦並び社会 貧富はこうして作られる」についてはその現実にはびっくりしたの感想だけであった。何が参考になったのか、何にびっくりしたのかこれ位は言うべきであるのに何も言わなかった。

私は何も岩崎さんを責めているのではないが、これらの紹介本を通していろんなジャンルの方が自分の考えを述べるのがこの番組の趣旨であるのに、彼女の発言にはいささか戸惑ってしまった。NHKは名うての書評家だけの書評ではなく、いろんな方の参加でこの番組を盛り上げようとする気持ちはわかるが、これでは視聴者に失礼である。

さらに奇怪なのは岩崎さんが紹介した「ほっとけない 世界のまずしさ」である。これは世界の貧困についてイラストやデータを紹介したものであり、NHKはうまくその内容を紹介しているが、彼女は世界各地に出かけ貧困の様子を見てきただけの話をしてその内容を紹介しようとしなかった。

実はこの本はその内容もさることながら、ホワイトバンドを買うことで世界の貧困を救おうと運動組織の連結しており、早速岩崎さんの紹介したこの本がホームページほっとけない 世界のまずしさ にNHKBSに放送されたことが宣伝されていた。この運動については昨年あたりから胡散臭さが指摘されていた。HP、FrontPage ではその問題点を述べているがその真実はよくわからない。

岩崎さんはこれらの背景がわからず純粋にこの本を推薦したものと思われるが、高野さんが番組で指摘していたように、この運動と本のかかわりをについて検証してみる必要がある。

ほっとけない世界のまずしさ編集  ほっとけない世界のまずしさ 扶桑社 2006年8月刊

作家・小島信夫氏逝く

体調不良でしばらくご無沙汰してしまった。その間、作家小島信夫氏が10月26日ご逝去された。彼の遺作となってしまった「残光」を読んで数ヶ月経つが、その内容の複雑さを頭で整理できず、感想を書けないままにいたが、その前に91歳の老作家、小島さんは逝ってしまった。この作品は介護施設に入っている妻への思いと自らの身辺雑記から,作家保坂保志との対話、そして過去の作品「菅野満子の手紙」「寓話」「静謐な日々」などの解釈、思い出と自由奔放に飛び、小島文学を全体を描いているとは思いながらも頭が混乱するばかりであった。

彼の代表作、「抱擁家族」は大学教師,俊介の妻時子とアメリカ兵の姦通を通して、夫婦、家庭の崩壊を描き衝撃を与えた。それは従来の日本の男女の倫理がアメリカ文明のもとに否定された日本の戦後の精神状況を捉えたものではなかったかと記憶している。しかし,小島さんはこの「残光」の中で、「満子の手紙」を通して「俊介でもあなたっだていいけど、あの事件が起こったあとーわたしはあんなもの事件とは思っていなけどー 時子があなた、こんなことにうろえてダメよ、といったのはあなたの創造した満子なのだから、それを再現したのだから、というわけよ。あの満子以外のことは時子はどうでもいいことだだったのよ」と編集者に述べたくだりが紹介されている。残念ながら「菅野満子の手紙」は読んでいないが、小島文学を知る上で是非読んでおきたい本である

このようにこの「残光」は小島文学を知る上に参考になるが、私には認知症で殆ど記憶を失っている妻との心のふれあいが胸に響く。この作品の最後の部分である。『十月に訪ねたときは横臥していた。眠っていて、目をさまさなかった。くりかえし、「ノブオさんだよ、ノブオさんがやってきたんだよ。アナタのアイコだね。アイコさん、ノブオさんが来たんだよ。コジマ・ノブオさんですよ」と何度もはなしかけていると、眼を開いて、穏やかに微笑を浮かべて、「お久しぶり」といった。眼をあけていなかった。』

その小島さんが病棟に臥せる愛する妻を残して最後の光を放ち逝ってしまった。彼の残した作品の多くは、評論家たちはは戦後文学史上「第三の新人」として遠藤周作、吉行淳之介などとともに高く評価されているが、私にはこの「残光」での最後の妻への叫びが心に残ってしまうのである。老境に近づいている自分のことを考えるとなおさらのことである。

小島信夫著   残光  新潮社2006年5月刊

非・常人の国

北朝鮮の核地下実験とその後の開き直り(わが国への宣戦布告)には呆れてものがいえない。国連安保理事会で国連憲章第7章に基づく制裁決議が全会一致で決定したことは当然といえる。

マスメディアは制裁問題に終始しているが、2200万人の北朝鮮人はこの制裁の陰にどんな生活をしているのか心が痛む。日本政府は拉致問対策本部は「全被害者の帰国要求」を要求、対応次第で追加政策措置を検討するという。これも人権問題として当然なことと思うが、北朝鮮政権の朝鮮人民への人権を無視した政治が強化されるのではないかと危惧している。

もう一つ気になるの日本は被爆国として「核廃絶」を目指していることを忘れてはなるまい。世界の核は27000個、米ロで79%を占めると言う。年々減っているというが、北朝鮮やイランが核兵器をもって何が悪いかと開き直られ、既成事実化されようとしている気配も伺われる。核保有国が核不拡散のためにどんな政策をうちだすのかにも注目したい。また、日本は非核三原則を堅持しているが、自民党幹部が対抗措置のために核保有を主張するようでは始末が悪い。

とにかく、金正日政権は尋常ではない。司馬遼太郎は随筆集「風塵抄」の中で、「常人の国」という題名で次のように述べている。「日本は常人の国である。それが私どもの誇りである。常人の国は、つねづね非・常人の思想とどうつきあうのかを、愛としたたかさをもって考えておかねばならない。でなければかえって、”世界などどうでもいい”という非・常人の考え方におち入りかねない。常人にはどんな非・常人よりも、勇気と英知が必要である。」

まさに「非・常人の国」に対して他国がどんな勇気と英知を働かせるのか。これが北朝鮮核実験に対する課題である。現在のところ「制裁」が中心であるが、他にどんな方法があるのか、解決の方向が見えてこない。さがない知人が金正日が亡命し新政権ができたらと・・と話していたが、非・常人の彼が生き延びるために必死の思いであることが伝わってくる。自暴自棄にならないとよいが?

司馬遼太郎著  常人の国(風塵抄) 中央公論社 1991年11月刊

「新書ラッシュ」に思う

世は将に新書ラッシュである。昨日、朝日新聞社が「朝日新書」12冊を出版した。その12冊の題名を見て驚いた。その一部を紹介すると、


「御手洗冨士夫『強いニッポン』」(構成・街風隆雄)
「使える読書」(齋藤孝著) 
「サラリーマンは2度破産する」(藤川太著)
「新書365冊」(宮崎哲弥著)
「日中2000年の不理解」(王敏著)
「妻が得する熟年離婚」(荘司雅彦著)
「情報のさばき方――新聞記者の実戦ヒント」(外岡秀俊著)
「天皇家の宿題」(岩井克己著)
「安倍政権の日本」(星浩著)

余りにもジャーナリステックで、時流に即した内容といえる。長い間「岩波新書」を愛読してきたものにとっては「進歩主義」を任じてきた朝日の腰の軽さにおどろざるを得ない。

岩波新書は1938年出版されたが、日中戦争が拡大し言論思想が厳しい中で出版を通じて学術と社会に貢献することを願い、この時流に抗して「岩波新書」を創刊したといわれる。1949年「岩波新書」は「再出発に際して」として、世界の民主的文化の伝統を継承し、科学的にして批判的な精神を鍛え上げること」、1970年には「戦後の歴史が大きく転換している現実に直面し知性をもってこの時代閉塞を切り拓こうとしている人々にその要請にこたえる精神の糧を提供する」、さらに1889年には創刊50年の新版の発刊に際して、buわが国が独善偏狭に傾く惧れがあることを憂い、「豊かにして勁い人間性に基づく文化の創出」を強調している。

この岩波主張には青臭く愚直であると批判する向きもあろうが、政治、経済、社会、歴史、文化、科学の分野にわたり「現代人の現代的教養」として私の書架に数百冊の本が色あせながら横たわっている。今でも参考になる内容も多く古典的に要素も備えている。

しかるに最近の新書ブームはどうだ。「バカの壁」、「さおだけ屋だけがなぜつぶれないのか?」などミリオンセラーを狙った本が主流である。この本が悪いのではなく、すぐ役に立つ効率優先、売れっ子の執筆者を追いまわす編集者の責任が大きく、売らんがため姿勢が目に付く。今回の「朝日新書」の題名をみて「朝日よお前もか」という感じである。


私は何も「岩波新書」が全てよいとは思わないが、長い歴史を経てきただけに、何か一本筋が通っているような気がする。鹿野政直氏が「書いた「岩波新書の歴史」を読むといっそうその感を強くする。

鹿野政直著  岩波新書の歴史  岩波新書 2005年6月刊
 

「憲法第9条を世界遺産に」を読む

題名が突飛であるが、人類学者中沢新一氏と「爆笑問題」太田光氏の真面目な対談である。内容は大きく標記の題と「宮沢賢治と憲法問題」である。この二つについて感想を述べてみたい。

中沢さんは最近、「対称性人類学」「芸術人類学」を著しているが、彼の著書には宗教性がつきまとう。特に人間と動物は長い間の敵対関係の歴史があったが,動物も別の姿をした一人の人間と考えることによってこの他者を同胞として受け入れてきた神話が生まれたというのである。つまり対立があると生命体は同一性を保つために免疫機構を備え、自分の内部に外から異質な力を排除してきたが、神話はこのような免疫解除原理のとに、免疫否定の考えを保ってきたというのである。そのような視点から「憲法第9条」は免疫性をを備えない近代思考に先立つ神話的思考に表明された「深エコロジー的思想」と同じ構造であるとの主張である。

戦争と平和の視点からしか考えない我々の考えからすると新鮮な発想である。太田さんがたまたまTVで「憲法第9条を世界遺産に」といった言葉を捉え二人の対談になったようだ。二人は日本国憲法を巷にいう「占領軍の圧力による憲法」と捉えず、「日米合作の憲法」であり、そこにはアメリカの建国精神が含まれているという発想も面白い。理想主義的なドンキホーテ的現憲法と集団的自衛権がなければ日本は防ぎようがないというサンチョ=パンサ的現実政治の二人が二人三却の中で日本国家は生きてこられた。だからこの憲法は近代国家の珍品として世界遺産であるという考え方を批判することは容易い。しかし理念としての憲法を考える上で胸に響くものがある。

宮沢賢治と日本国憲法に若干触れておきたい。賢治はある時期、法華経の関心を示し上京し田中智学の「国柱会」に入信している。田中の考えは国家主義に発展し、唱えた「八紘一宇」が軍部や右翼に利用された歴史がある。賢治研究者には確かにこの田中との関係に触れない人が多いが、これに着目した中沢さんはさすがといえる。賢治は半年で帰郷しその後「童話」つくりに没頭する。愛に満ちた賢治の童話の世界しか知らない我々には、彼の宗教的情熱に国家主義の影があったこと。賢治はそれを察知にしていたのか、知らずいたのか興味あるところである。

最後に中沢さんの学際的な博覧強記は知っていたが、太田さんの豊富な読書体験と鋭い感性に感心した。只者ではない。

大田光・中沢新一著   憲法第9条を世界遺産に  集英社新書  2006年8月刊

藤沢周平の世界

今日午後からNHKで9月24日に鶴岡市で行われた公開録音シンポジュウム「藤沢周平の世界を語る」 の放送があった。司会が松平定知アナウンサー、パネリストは半藤一利氏(作家) 村上弘明氏(俳優) 松田静子氏(藤沢周平文学愛好会顧問である。半藤さんは「ノモンハンの夏」「昭和史」などの著書がある作家であるが藤沢作品愛好者としても知られている。村上さんはNHK時代劇「腕におぼえあり」(原作用心棒日月抄)の主人公青江又八郎を演じた方であり、松田さんは地元の藤沢周平研究家として知られている方である。

司会の松平さんが3人のパネリストに藤沢作品の一番好きな愛読書を聞いた。半藤さん 「泣くな、けい」をあげた。これはけいが相良家に奉公しいじめにあい主人の波十郎に犯されながら恨みもせず、波十郎が藩から預かっている短刀が行方不明になった時、それを取り戻すために江戸まででかけ主人苦境を救う物語である。涙なくして読まれないが硬派の半藤さんがこれをあげたの意外であった。

村上さんは「用心棒日月抄」をあげたが当然ある。主人公青江又八郎が藩の陰謀に巻き込まれ許婚者の父を切り脱藩、用心棒生活を強いられがら藩の危機を救う物語である。村上さんは俳優になるまでの苦しみを又八郎に重ね合わせたという。

また松田さんは「玄鳥」(つばめ)をあげた。主人公の妻、路が父の部下が暗殺されよようとするのを父からひそかに伝えられた「不敗の剣」を伝え救う物語であるが、毎年つばめが巣を組むが夫がそれを取り壊せということから話が始まり、松田さんは路が幼い日つばめをが来るのを皆で楽しみにしていた家族の団欒にを思い出すことから、家族の問題に着目し、藤沢作品の多面的な読み方が参考になる。

結局、藤沢が下級武士、市井の弱者に目を向けたのは、「いばらない」「権力になびかない」という彼の姿勢と底辺からもう一度「生きなおす者」への励ましではなかったかという結論に共感する。その背景には藤沢が育った郷土鶴岡の美しい山河、そして結核に倒れながら立ち直った彼の生き方も関係している。

この11月から毎週、朝日新聞社より、藤沢作品をビジュアルに紹介する「週刊藤沢周平の世界」 (30巻)が出版される。

  藤沢周平の世界   朝日新聞社発行  2006年11月~ 定価560円

楽しい郷土史

地元、郷土の歴史「図説 横手・湯沢の歴史」が出版された。これは地方出版社で定評のある長野県の「郷土出版社」 が、全国各地方毎のの歴史を写真、図版を多く載せ、平易な解説したユニークな郷土史である。単なる古代から現代に至る通史ではなく、その地域の時代の特色を示す項目を約100に選定してどこから読んでも楽しく読める。

執筆者も大学の先生ではなく地元の歴史研究者あり、(元)教師、会社員、公務員と様々であり、それぞれ得意分野を分担して執筆している。この地は横手盆地を中心に数多い縄文遺跡、古代の「雄勝城」の建設、源義家の「後三年の役」戦場、戦国時代の小野寺氏の支配、更に山形最上氏の侵入、江戸時代、佐竹氏の移入、さらには戊辰戦争における戦場と、悠久の歴史のなかに色々な歴史のドラマの舞台となった地域である。

先史古代では縄文遺跡の紹介がなされているが、貴重な土器、石器などに興味が魅かれる。ただこの地方住んでいたと推測される蝦夷(えみし)の生活が出てこないのがきになる。中世の項目が少ない。これはこの当時の様子を示す古文書が少なくこの地を支配した小野寺氏の系図が複雑で、多くの地方史家の著書があるがそれぞれ見解が違い書きにくいというきらいもある。

さすがに江戸を中心とする「近世」の項目が圧倒的で、全体の3分の一を占める。その中で小野小町伝承(湯沢市小野)が農耕神話として発生したというユニークな見方、農民が新田開発に乗り出した3事例が挙げられるているのが目を引く。また秋田に住んだ江戸の紀行家菅江真澄の記録が引用されているのが特色。近代・現代においては地方文化、地場産業にも目をむけている。

以上この本を概観したが、実は私も依頼され2項目ほど執筆している。(学生時代の専門は農村社会学で歴史専門でない)その一つが江戸時代から今でも地元を流れる用水路「湯沢大堰」である。これは地元の富谷某が開削したというのが定説である。しかし聞き取りをしていくうちに別の人物も関わったことがわかる。その先祖を探しあてたが、その関係書類が40年前解体した蔵から出てきたが紛失したとのことである。このように地方史料には未だ埋もれたものがあるような気がする。この本は郷土を知る上で楽しく読める本であるが、価格が11000円で他人に勧めるのを躊躇している。

国安寛・土田章彦編集  図説 横手・湯沢の歴史  郷土出版

カタカナ語の多い新首相の「所信表明演説」

安倍新首相の「所信表明演説」を昨日TVで視聴しているうち、不謹慎にも居眠りをしてしまった。内容がつまらないからでなく、メリハリのない、やや早口の話し振りのせいかもしれない。今日改めて新聞で全文を読んでみてカタカナの言葉の多いのに驚いた。揚げ足をとるつもりはないが、その一部をあげてみる。

・活力に満ちたオープンな経済社会の構築
・アジアゲートウェイ構想
・イノベーション25
・新健康フロンティア構想
・ライブトーク官邸
・「カントリー・アイデンティティ」の発信

外来語が日本語として日常化してきているのは承知しているが、日本の今後の方向を決める政策の中に横文字カタカナが多いのに注目したい。確かに文章の前後を読むとその説明がついている。例えば「イノベーション25」は「成長に貢献するイノベーションの創造に向け、医薬、工学、情報技術の分野ごとの、2005年までを視野に入れた長期の戦略指針」だそうである。これだけではその内容はよく理解できない。

聞きなれない言葉は「カントリー・アイデンティティ」である。「セルフ・アイデンティティ」self identity(自己同一性)はよく聞くが、「country identity」はこれから類推して国家同一性と言うべきものだろうか?所信表明では「わが国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」と説明している。新首相の周りにはブレーンとして某京大教授がついているからその入り知恵かもしれないが、この内容も具体的には分からない。東北の片隅にいる田舎親爺にとってはこのような耳障りのよいカタカナ言葉には戸惑うばかりである。

作家井上ひさしはその著書「私家版 日本語文法」の中に横文字カタカナについて述べている。それによると、NHK総合文化研究所が1973年全国規模の外来語調査の中で「横文字カタカナ」についての自由記述欄に次の内容が載っていることが紹介されている。「日本語が日本語でなくなりつつある」「日本語の美しさがこわされる」「日本語の語彙体系がめちゃくちゃになるだろう」「和製英語や略語は葯にたたたぬ」「耳できいてわからない。そんあものが日本語だろうか」約30年前の日本人の反応である。最近ではIT(ああ!これも横文字)発達で日本人は日本語に無神経になったのだろうか。新首相の唱道する「美しい国、日本」には「美しい日本語」が必要だと思うのだが。

井上ひさし著    私家版  日本語文法  新潮文庫  1984年9月刊

世間とは(阿部謹也氏を悼む)

西洋社会史研究の第一人者で、「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開した歴史学者の阿部謹也氏が9月4日亡くなった。遅ればせながら謹んで哀悼の意を表したい。

阿部さんの「世間」論については小生のHPに彼の著書「日本人の歴史意識ー「世間という視覚からー」 の書評をのせている。この本は古代から現代までの「世間」という視点からの日本人の歴史意識の変化を知る上で参考になる。

その中に阿部さんは「日本には世間という人と人の絆があり、その世間が個人を拘束している・・日本人は自分の振舞いの結果「世間」から排除されることを最も恐れて暮らしている。これは欧米では訳すことができない言葉である」と言っている。

先日、私の町内で昔から続いている「町内会」を脱退したいという者が現れた。隣近所のいざこざ(当事者にも原因がある)が原因である。東北農村の旧態依然の村落共同体的な扶助組織の性格もつ「町内会」は阿部さんの言う「世間」の要素を多分にもっており、それをを脱退しようとするするには相当の勇気がいる。しかしその脱退は世間という拘束から自由になりたいという個の確立ではなく、いわば世間からの一時逃避であると考えている。

しかし彼はそのような「世間」のしがらみから逃避したといえ、近代社会の「地域社会」からは逃れることはできない。先日、隣の家の木に「アメシロ」という害虫がつき家に入ってきて困るから町内会でなんとかしてくれと町内会長の私に抗議してきた。町内会長はそれは隣家との個人の問題であるから自分で交渉したらといった。それでも心優しき町内会長はすぐ隣家に連絡して駆除してもらったが、このように自然的・環境的においても地域社会から個人は逃れることができないのである。

阿部さんはこの本の最後に「世間の中でうまく適応できない人がいる。しかし世間とうまく折り合うことができない人は世間の本質を知り歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず世間とうまく折り合えない人が発見していくものである」と述べている。世間とうまくおりあえず町内会を脱退した者が世間の本質を知っているとは思えないが、確かに世間から外れないようにうまく適応しようとしている人が多いのも事実である。阿部さんには「地域の変貌と世間」についてもっと教えてもらいたいことがあった。

阿部謹也著  「日本人の歴史意識ー「世間という視覚からー」岩波新書 2004年1月刊

無季俳句

遺品あり岩波文庫『阿部一族』  鈴木六林男


俳人,黒田杏子(ももこ)さんが学生時代この無季俳句に出会い衝撃を受けたことを新聞連載のエッセイー「定型詩の中の戦争」のなかで書いている。「この一冊の文庫本を残して戦場に息絶えた兵士とその事実を心をこめて詠みあげている俳句作者にこころの底から連帯感を抱いている自分がいた」と黒田さんはのべいる。

後年、黒田さんは六林男(むりお)と知り合い、彼は「岩波文庫の句、あれは誰の遺品でもない、あの本を持っていたのはこの六林男だよ。だから句を詠めた」と語ったそうである。無季俳句などで表現の可能性を追求したこの俳人は、西東三鬼に師事。戦時中は中国やフィリピンを転戦している。そときに戦場の人間模様を鋭くとらえた句を作っている。

先に私は「季語集を読む」の書評を書いたが、作者の坪内稔典氏は言葉の端々にく定型季語の俳句の限界をそれとなく示唆しているように感じていたところ、この鈴木六林男の句に、かなり遅れている私も黒田さんの紹介によって衝撃をうけ、共感を覚えたのであった。

ところが現代の俳句界はホトトギスの流れを汲む稲畑汀子らの日本伝統俳句協会が一つの大きな流れがあり、社会性や土着性を重んずる金子兜太らの現代俳句協会が対峙しているようだ。(単純な見方でもっと複雑かもしれない)稲畑と金子はNHK俳句の選者として顔を出すときはあるが二人の俳句観の対立が出てきて,面白く拝見している。金子の方がその経歴から言って無季俳句に共鳴を示しているように思える。

最近、従来の風雅の対極に生きた無季俳句の鬼才、林田紀音夫(きねお)の「林田紀音夫全句集」が出版された。人間の悲嘆の表層を描くペシミズムは俳句から限りなく遠い。林田は批判を受けながらこのペシミズムを基底に、徹底して風雅を追わず自己と等身大の生を無季俳句に写し取ったという。(毎日新聞専門編集委員酒井差忠氏の言葉)

鉛筆の遺書ならば忘れからむ  林田紀音夫  

浅学の身で俳句云々はおこがましいが、季語を上手に駆使し豊かな自然詠の句が主流の中で、無季語であるが我々の琴線に触れるものもあることに最近気付き始めた。

林田紀音夫著 林田紀音夫全句集 富士見書房 2006年8月刊

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>